後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「東京で桜が開花し始めました!」

2016年03月21日 | 写真
今日、東京の桜の開花宣言がありました。さっそく午後に多摩墓地へ行って毎年一番先に咲く桜の木の下に行きました。満開ではありませんが見事に咲いていました。その写真を3枚お送りいたします。
多摩墓地から小平市の運動公園に行き、車を駐車して90分間、玉川上水沿いの遊歩道を4.5Kmほど歩きました。久しぶりに歩きましたが、杖を突きながらゆっくり歩けばこの位は軽く歩けることが分かりました。暖かくなったので、これからは度々歩くことにしました。その玉川上水沿いの遊歩道で撮った写真を2枚お送りいたします。









「早春の都立浅間山公園に登ってきました」

2016年03月20日 | 日記・エッセイ・コラム
府中市にある小高いせんげん山に久しぶりに登ってきました。随分と足が弱くなりましたがゆうくり登ると前山の頂上まで登れました。
木々が芽吹き始めて早春の山の雰囲気でした。









キリスト教における偶像崇拝と原始宗教的な部分(続き)

2016年03月20日 | 日記・エッセイ・コラム
全ての民族文化には優劣が無いと言います。それは文化人類学の基底をなす一番重要な考え方です。私はそれを信じています。
この考え方をいろいろな民族が信じている宗教にあてはめて考えてみると次のようになります。
「世界にはいろいろな宗教がありますが、それらのあいだには絶対に優劣は無いのです。全く平等なのです!」
従って一神教と多神教に優劣はありません。原始宗教にも高等宗教にも優劣は絶対にありません。偶像崇拝と非崇拝にも優劣がありません。
とかく一神教で偶像崇拝をしないイスラム教が一番高等な宗教だと言う人がいますが、それは根本的に間違っています。優劣の無いものに一番高等だと言うこと自体が間違っているのです。
そしてどのような宗教を信じていても、人間の金銭欲や他人を支配しようとする支配欲などあらゆる欲望から逃れることが難しいものです。
一番高等なイスラム教を信じている民族が中東で残酷な殺戮を繰りかえしている様子を見れば人間の欲の深さがしみじみと分かります。
「キリスト教における偶像崇拝と原始宗教的な部分」と題する3月18日の記事の要約を示します。
・・・キリスト教は建前では一神教ですが、信仰の実際を観察すると多神教的な部分があると言えます。ですからキリスト教を一神教であると断定することは間違いのようだと思っています。 「偶像崇拝と非崇拝」についても建前と信仰の実際は異なるのが自然なのだと思っています。 お釈迦さまは涅槃に入るとき遺骨は野に捨てよと言われました。そして一切の像を作っていけないとおっしゃいました。そのお釈迦さまの教えはこの世の人間には厳し過ぎたのです。仏教国には仏像が溢れています。・・・・
今日はこの記事の続編として、キリスト教のなかのカトリック宗派の原始宗教的な信仰の実態をご説明したいと存じます。
カトリックのミサではイエスさまの肉体の一部を食べるのです。パンの一片を肉体の一部と信じて食べるのです。ミサの終わりのほうで信者は行列をつくり祭壇の前に進み、神父さまからパンの一片(聖餅)を一人、一人が掌にいただくのです。以前は神父さまが口に直接食べさせてくれました。
この時、神父さが「キリストの体」と言うのです。ミサで一番重要なことはこの聖餅を受けることなのです。イエス様の肉体の一部が自分の体に入り守ってくれるのです。
ある原始宗教では先祖の遺骨を細かな粉にして、スープのようにして飲みます。そうすると先祖の骨が飲んだ人を守ってくれるのです。
カトリックの聖餅を食べることはこの原始宗教と形の上ではよく類似しています。
プロテスタントの諸宗派はこの原始的な行為を嫌います。時々、聖餅を貰うことがありますが、それはイエスさまの肉体のシンボルとして貰い、食べるのです。絶対にそれを肉体そのものだとは考えません。ところがカトリックでは肉体そのものだと考えるのです。原始的です。原始宗教のようです。
さて、ここからがこの記事で主張したい考え方です。
「人それぞれ、いろいろな信仰の実態がありますが原始宗教的な部分が含まれているのが普通なのです」
例えば日本の仏教では修験道と混淆した宗派があります。
誤解を恐れずに書けば、原始宗教的な信仰の実態があった方が人々を惹きつけるのです。
私は時々、自分に縄文人の血が流れているのではないかと感じることがあります。原始生活に憧憬を感じるのです。そして原始宗教の世界に興味があるのです。そのせいで私はカトリックが自分の考えかたや感性に合っているのだと思うことがあります。
プロテスタント宗派の教義は合理的で、かつ近代的なようなので、私の感性に合わないのでしょう。むしろロシア正教の方が私の感性に合っています。
結論です。宗教を原始宗教とか高等宗教に分けて考えるのは大きな間違いです。偶像崇拝はいけなというのも間違いです。偶像崇拝のおかげでお釈迦さまの教えや、キリスト教の聖書に近づくことが多々あるのです。偶像崇拝を信仰の補助的役割にしている限り、それは良いことなのです。
以上で私の主張したいことを全て書きましたので、「キリスト教における偶像崇拝と原始宗教的な部分」と題する記事は終了といたします。
今日は日曜日なので、これからミサに行きます。今日は、棕櫚の葉を手に持ってイエスさまを歓迎する儀式をしてから会堂に入ります。その歓迎にもかかわらず、イエスさまは5日後の金曜日に十字架にかけられて処刑されたのです。その故事を再現するのもカトリックの特徴なのかも知れません。
今日の挿絵代わりの写真は3月17日に京王フローラルガーデンで撮った花の写真です。


それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)






早春の瀬戸内海の風物詩、イカナゴの釘煮を今年も頂きました

2016年03月19日 | 日記・エッセイ・コラム
イカナゴは日本各地の沿岸で漁獲される魚です。毎年、瀬戸内海での解禁日は年によって違いますが、大体2月下旬に解禁になります。
稚魚を瀬戸内沿岸部ではイカナゴ(玉筋魚)、関東ではコウナゴ(小女子)、大阪ではシンコまたはカナギと呼ばれています。
イカナゴは暑さに弱く、6月から晩秋過ぎまで砂に潜って夏眠する珍しい魚です。
関東ではコウナゴの佃煮と同じものが瀬戸内海沿岸ではイカナゴのクギ煮と呼ばれています。
今年も今日、友人の鈴木 裕さんの母上が精魂込めて煮たものを送って下さいました。
山椒入りのものとショウガ入りのものと2種類がハランの葉で分けてパックに丁寧に詰めてあります。特に解禁早々のまだ幼魚の高級なイカナゴのクギ煮です。
毎年、3月になると須磨にお住いの鈴木裕さんが送ってくれるのです。これを食べると、「ああ、今年も春が来た」という暖かい気持ちになり、春の陽に輝く瀬戸内海の海の風景が眼前に広がるのです。早春の季節の風物詩です。
イカナゴのクギ煮と同じものを東京ではコウナゴの佃煮と言います。味がどのように違うのか調べるために昨年、コウナゴの佃煮を買ってきて、ビールを飲みながら交互に食べてみました。
同じ魚ですが全く味が違うのです。須磨のイカナゴのクギ煮はかすかにフォアグラのような肝臓の風味がするのです。そして骨を感じさせない柔らかい小魚の食感です。魚の肝臓ではアンコウの肝やカワハギの肝が美味ですが、それらと一脈通じる味がかすかにするのです。これこそイカナゴのクギ煮が絶賛される原因だと断定できます。
断定したといえば大げさですが、交互に東京で売っているコウナゴの佃煮を食べてみると明快に分かるのです。コウナゴにはアンコウの肝やカワハギの肝の美味成分が皆無です。その上、身が固すぎます。魚としての旨さは充分ありますが固すぎるのです。
この違いは餌の違いなのでしょう。
6月から晩秋過ぎまで砂に潜って夏眠した後で、冬になり活発に餌を食べる期間の餌の味が関係していると想像しています。魚の味はその魚が食べる餌によって決まります。
最近の養殖したタイやハマチが美味しくなってきたのは餌を研究した成果なのです。以前の養殖したタイやハマチはサンマ臭かったものです。
イカナゴやコウナゴは北海道から九州まで全国各地で漁獲はされていますが、瀬戸内沿岸の淡路島や明石などの早春のイカナゴのクギ煮だけは抜群に美味しいのです。
それはさておき、下にお送り頂いたイカナゴの釘煮の写真を示します。

山椒を入れたものと生姜を使ったものの2種類です。山椒は、その生産量日本一の和歌山県有田川町で採れる「ぶどう山椒」と言う品種だそうです。
イカナゴは解禁直後のもっとも小さいシンコと呼ぶ稚魚を使います。下にその写真を示します。

釘煮を作る時は小さなイカナゴを沢山鍋に入れ、醤油、みりん、砂糖、生姜あるいは山椒を入れて煮込みます。此の時、絶対に掻き回さないそうです。繊細な魚なので動かすと壊れてしまって団子状になるそうです。
とにかく焦さないように根気よく煮詰めて、汁が完全に蒸発して無くなるまで煮詰めます。弱火、というかトロ火で炊くのです。その煮詰めた時の味加減を丁度良くするのが難しいのです。素人が作るととかく塩辛くなりがちだそうです。
鈴木さんの母上の味は上品です。その上、生姜や山椒の香りが程良くてなんとも言えない風味があるのです。料理は作っている人の性格を表わすと言いますが優雅で、その上根気の良い母上のお人柄が偲ばれるのです。
2種類の釘煮の仕切りをお庭の葉蘭でしてあるのですがその細かな切り方が本当に丁寧な事に毎年感嘆しています。風物詩のクギ煮で感じる小さな幸せです。
下に関連の写真を示します。
鈴木さんの母上はお正月の初詣でのおりに毎年、須磨の海苔もお送り下さいますので、その写真をまず示します。
写真の出典はhttp://www.city.kobe.lg.jp/information/public/online/photo/number27/special_features/index2.htmlです。

上の写真は須磨の海で養殖した海苔です。

上の写真はその須磨の海で養殖した海苔を船で収穫している様子です。

上の写真は瀬戸内海のイカナゴ漁の船の動きを示す図です

上の写真はイカナゴ漁をしている漁船の写真です。

上の写真は魚市場に水揚げされたイカナゴの写真です。
出来たら是非イカナゴの釘煮をネットで購入し味わってみて下さい。いわゆるコウナゴの佃煮とは風味が全然違います。

甲斐駒岳の厳しさと優しさの写真を撮りに行きました

2016年03月19日 | 日記・エッセイ・コラム
山を見ると厳しさを感じます。反対に優しさを感じる時もあります。
しかし山に心がある筈がありません。ですから見る人の一方的な感情によってどうにでも見えるのです。
私は山梨県と長野県の境にある甲斐駒岳の写真を42年間撮っています。1974年にその山麓にささやかな小屋を作って以来、そこに行く度に撮り続けています。こんなに長い間写真を撮っていても一向に飽きないのです。それは写真を撮る度に山の様子が違うからなのです。
太陽の光の加減、雲の様子、山肌の色合い、周囲の森のたたずまいと、色彩の変化などなどが微妙に違い、毎回写真の様子が異なってくるのです。
その上、写真を撮っている時の自分の心情によって写し方が変わってくるのです。
昨日は車を中央高速道路に走らせて山の小屋へ行ってきました。
行く前に今日の写真のテーマは「山の厳しさと優しさを写す」と決めました。同じ山を同じ時間帯に撮って「山の厳しさと優しさ」の両方を写しとってみようと考えたのです。
それだけの問題を抱えて車を走らせたので、何時も途中で写真に撮る富士山や南アルプスの雪の山稜は眺めるだけにして道を急ぎました。
ここで6枚の山の写真を示します。
はじめの3枚の写真は甲斐駒岳の厳しさを表現した写真です。
続く3枚の写真は春が近づいている山々の優しさを写し取った写真です。
上手に写し取っているか否かは自信がありませんが、そんな気持ちで撮った写真です。

上の写真は大武川をまたいでいる国道20号線の鉄橋の向こう聳える甲斐駒岳です。山の大きさを鉄橋の小ささで強調したつもりです。その上、垂直に見える山の絶壁が麓の建物や鉄橋を押し潰すように立っています。人間の営みの小ささと儚さを感じて頂ければ嬉しいのです。

上の写真は甲斐駒岳の山頂をズームで撮りました。人間を寄せ付けない雪の岩稜です。甲斐駒岳の厳しさを表現した写真のつもりです。

上の写真は甲斐駒岳の南に続く雪尾根も入れた甲斐駒岳です。この尾根を向こう側に下りと、北岳の北壁の苦しい登りが待っています。雪の尾根も写真の視野に入れると、甲斐駒岳の厳しさが一層感じられませんでしょうか。

上の写真は同じ甲斐駒岳ですが、手前に早春の森の風景を入れました。木々はまだ芽吹いていませんが、なんとなく春が近いという感じです。さっきまで灰色の空だったのが明るい青空に変わっていました。そんな影響で甲斐駒岳が優しく見えたのかも知れません。

上の写真はついでに八ヶ岳を撮った写真です。手前の森と人家のある里を、八ヶ岳がゆったりと抱擁するような構図にして写真を撮ったつもりです。八ヶ岳も厳しい山ですが構図のとり方で印象が変わるようです。

上の写真は甲斐駒岳の南東の隣の地蔵岳です。右が前山でその左の雪山が地蔵岳の主峰のようです。山の形がなだらかで優しい感じがします。手前の森と野原が写真に優しい感じを与えています。
こんな工夫をしながら昨日は山小屋の周辺を歩きながら写真を撮って来ました。
家人が後ろから構図を慎重に考えてゆっくりシャッターを押してと言っています。いつもの事なので、ウンと言いながら無視します。
昨日は暖かい風が頬をなでていました。遠方でウグイスの声がかすかに聞こえました。
写真を撮っているとそんな山の空気も楽しめるのです。
これも老境の幸せというものでしょうか?

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

キリスト教における偶像崇拝と原始宗教的な部分

2016年03月18日 | 日記・エッセイ・コラム
ブログに私は宗教に関する記事を度々書いています。無宗教の方も仏教を信じている方も不愉快にならないように公平な書き方に心がけています。私は仏教も神道も好きです。お釈迦さまや玄奘三蔵法師や弘法大師を尊敬しています。その上でカトリックの洗礼を受け、毎週、日曜日にはミサに行きます。そのことをブログに書いています。
そうしたらある読者の方から宿題を頂きました。
「一神教と多神教」と「偶像崇拝と非崇拝」について私の考えを書いて下さいという宿題です。
何日か考えた上で書く決心をいたしました。自分がカトリックという宗派の信仰で体験したことを正直に書くことにしました。
日本では神道は多神教でキリスト教は一神教だとよく言います。そして一神教は戦争の原因になるから多神教の方が良いと言います。
そしてキリスト教は原始宗教でなく高等宗教だから偶像崇拝はしないと言います。
しかし自分がカトリックの信者になってみると上のような理解は間違っていることに気が付きます。
プロテスタントの諸宗派のことは分かりませんが、カトリックでは「神と聖霊とイエスさま」を一体として、すなはち三位一体として崇拝します。その上、マリア様を拝みます。そして各教会の守護聖人を敬います。日本人のカトリックは長崎の26聖人像を自分たちの守り神のように拝む人もいます。キリスト教では唯一の神だけを信仰するという建前ですが、弱い人間にはその教えを守れないのです。
このように書くと多神教の日本に住んでいるからそうなると言う方がいます。
しかしヨーロッパの農村地帯を旅すると道端に馬頭観音や道祖神を祀ったように見える祠が時々あります。吃驚してその祠の中を覗くとマリヤ様の小さなお像が祀ってあります。旅人が旅の安全を祈るのです。
その上、キリスト教を信仰していながら、一方で星占いや伝統的な迷信を信じている人も多いようです。
カトリックのように古い宗派の一つにロシア正教があります。そこではイコン(聖画や聖像)が信仰の対象になっています。
さて最初の問題の「一神教と多神教」の区別の仕方の問題はキリスト教は建前では一神教ですが、信仰の実際を観察すると多神教的な部分があると言えます。ですからある宗教を一神教であると断定することは間違いのようだと思っています。
「偶像崇拝と非崇拝」についても建前と信仰の実際は異なるのが自然なのだと思っています。
お釈迦さまは涅槃に入るとき遺骨は野に捨てよと言われました。そして一切の像を作っていけないとおっしゃいました。
そのお釈迦さまの教えはこの世の人間には厳しすぎたのです。仏教国には仏像が溢れています。そして観音様の像や薬師様の像を毎日拝んでいると何時しかお釈迦さまのことを忘れてしまいます。これが偶像崇拝の危険な落とし穴なのです。
この落とし穴を常に考えながら観音菩薩像や薬師如来像を拝んでいればお釈迦様を忘れません。
カトリックでも教会の守護聖人像やマリア様の像を、そして26聖人像を拝むのも重要ですが、常に神とイエスさまと聖霊の三位一体を考えながら拝むことが重要なのだと私は信じています。
結論を書けば、偶像崇拝は必要です。しかしその落とし穴に落ちないように、教えの本家本元のイエスさまやお釈迦さまの教えを忘れいことが重要なのです。一番大切なものはイエスさまやお釈迦さまの教えであり偶像ではないのです。
そして高等宗教と言われているキリスト教や仏教でも原始宗教と同じように偶像崇拝が重要な役割をしているのです。その部分は原始宗教的な部分と言えるのではないでしょうか?
カトリックにはもっと原始宗教的な部分があります。しかしあまり長くなるのでその部分は続編でご説明いたします。
今日の挿絵の写真は昨日、京王フローラルガーデンで撮った花々の写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)






「白いモクレンと紅色のモクレンの競演」

2016年03月17日 | 写真
今朝は4月の陽気です。青空が広がり陽射しが輝いています。
モクレンの木の数が東京一と自慢している京王フローラルガーデンに写真を撮りに行きました。場所は、http://www.keio-ange.info/ に出ています。白いモクレンと紅色のモクレンの競演をお楽しみ下さい。













幸せな人・・・政治に無関心、外国のことにも無関心

2016年03月17日 | 日記・エッセイ・コラム
インターネットに政治に関することを書くとあまり読んでくれません。また外国のことを書くと読んでくれません。
ですから日本には政治に無関心な方々が多いと感じています。外国のことに関心の無い方々も多いと考えています。
”日本では”と書いた理由は、それが島国としての日本の特徴かも知れないと思うからです。
その上、日本には昔から政治に関心のある人は俗物だと言う人もいます。あるいは風流人はそんな雑事にとらわれていないという考え方もあります。
例えば現在アメリカでは次期大統領の予備選挙で大騒ぎをしています。
その様子を見ながら、荘子の言葉と白楽天の漢詩を思い出す人も少なくないと思います。
下に白楽天の漢詩を示します。

対酒・・・白楽天

蝸牛角上争何事
石火光中寄此身
随富随貧且歓楽
不開口笑是痴人

酒に対す
蝸牛角上 何事をか争う
石火光中 この身を寄す
富に随い貧に随いて且 歓楽せん
口を開いて笑わざるは是痴人

共和党のトランプ氏も民主党のクリントン氏も毎日、毎日、 蝸牛角上の争をしているのです。つまらい争いです。それよりも金持ちも貧者も自分の境遇に随い、毎日を楽しんだほうが良いのです。
こんなことを考えると欧米の民主主義が日本の文化や風土になかなか根着かない理由が分かるのです。
私の受けた戦後教育では、民主主義とは国民全員が政治に関心を持ち、投票は棄権してはいけませんと教わりました。
しかし上の漢詩にあるように政治的な争いも所詮は 蝸牛角上の争いの一つなのです。
欧米では正しい政治的な判断をするためには議論を重ねるべきと考えます。議論と論争は違いますが我々には一緒に見えます。ようするに言い争いなのです。声の大きいほうが勝つのです。むなしいですね。
それでは政治や外国のことへ対する関心度を測定するため次の3枚の写真を見てみましょう!





この3枚の写真を見て、誰の写真か分からない人がいたら、その人こそ完全に政治や外国に無関心な人です。その人は最高に幸せな人です。
1番目は分かるが2番目と3番目は誰か分からない人も合格です。かなり幸せな人です。

昔、ある日本人の数学者が大東亜戦争が起きたとき、戦争が起きたことを長い間知らなかった人がいたそうです。真偽のほどは知りませんが、そんな幸せな人もいたのです。
そこまで徹底しませんが政治に無関心な人は結構多いのではないでしょうか?
卑近な例で恐縮ですが、家人がその例です。政治より文学に関心が強いのです。日本古典文学にに心酔していて、新聞の政治的な記事は斜めに読んでいます。そして原発反対、戦争反対と独りでつぶやいています。食卓で政治的な討論をしようとするとニコニコしてお終いになります。
そのくせ選挙は必ず投票に行きます。誰に投票すべきは情報を持っているのです。おおむね正しい投票をしている様子です。
今日の結論を書きます。
政治に関心が無くても幸せに暮らせる国ほど有り難い国はありません。
外国のことに関心が無くても外国から旅して来た人へ優しく、親切にする人は幸せです。このような国が日本なのです。
独裁国家ではこのようにはいきません。常に独裁者の政策を理解していないと捕まって収容所へ送られてしまうのです。そこまではいかなくてもこの世で不利になり不幸になるのです。
日本では政治家がおおむね善い人です。政治は政治家に任せても良いのではないでしょうか?
そんな感じで暮らしていても、とんでもない不幸にならないこの日本へ感謝しています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

ゴッホの絵の追加とキリスト教徒としての精神的遍歴

2016年03月16日 | 日記・エッセイ・コラム
ゴッホの絵画を追加いたします。
特に1番目の写真の「馬鈴薯を食べる人たち」はかれの初期の作品で、1885に描かれました。
それは、キリスト者として貧しい生活の人々に寄り添った絵画でした。
しかしその画風は続きませんでした。
1886年に、ゴッホはパリの弟テオのところに同居します。初めてモネ、ルノワール、ドガ、ピサロなどの作品を目の当たりにしたのです。
華やかな印象派の影響で、ゴッホの絵はくすんだ色彩から、一気に活き活きした色彩へと変貌したのです。
1番目の暗い画風から2番目、3番目、4番目の作品の印象派らしい明るい作風へ大きく変化したのです。

上は1885年の「馬鈴薯を食べる人々」です。

上は1888年の「ひまわり15本」です。

上は1887年の「春の釣り」です。

上は1890年の7月の鳥が低空を飛んでいる「麦畑」です。

それにしてもゴッホの絵画は世界中で称賛を浴びていますが、彼のキリスト教徒から社会主義的心情へと変わる苦しい精神的な遍歴も忘れることが出来ません。
以下に、その遍歴の様子を、http://www.ne.jp/asahi/art/dorian/G/Gogh/Gogh.htm から転載いたします。
・・・「ゴッホはオランダのプロテスタントの牧師の息子であった。ゴッホ自身も信仰心が厚かった。
伯父のヴィンセントが経営するグーピル商会で仕事をしていた。当時、パリ、ロンドン、ハーグで絵画を扱っていた。しかし、経営者にも仕事にも幻滅し、7年後、23歳でこの仕事は辞めている。
その後イギリスへ渡り、学校で教えた。この間にゴッホは、プロテスタント主義に傾いていく。
オランダへ一旦帰り、アムステルダムの大学で聖職者になるための教育を受けようとした。しかし、実際の試験勉強では宗教と何の関わりもないことアカデミックなことを勉強しなくてはならない。
落胆したゴッホはブリュッセルの福音伝道学校へ入る。しかし、ゴッホの過剰な信仰は、学校側に警戒される。
3ヶ月後、鉱夫たちの説教のため、ボリナージュ地方へ派遣される。ゴッホは人々の貧困を見て、自らも同化しようとする、あまりにも行き過ぎた熱意のため解任。
ゴッホの激しい性格は、他の人からは常に過度に映り、危険視されたのだった。
ゴッホとしては単に、キリスト者として貧しい生活を送りたい、というゴッホは、幹部と決裂し、ハーグに出て画家を目指すことになる。
ハーグでもゴッホは、一人の娼婦を救おうとして、家を提供してしまう。プロテスタント教会の伝統的なモラルから、明らかにかけ離れた生活者になってしまったのだ。

キリスト教による救済を断念したゴッホは、今度は、政治的な傾向へと向かう。実際に運動家ではなかったが、精神的には社会主義の理想へと引っ張られていった。実際、当時の社会は、社会主義が大きな勢力として台頭してきた時代であった。
パリに出ると特に、社会主義やアナキズムの賛同者が画家仲間でも多くいた。ゴッホは画家が協同制作するコミューンを夢見た。

大変な読書家だったゴッホは、ゾラ、ディケンズ、ヴィクトル・ユゴーなどの作家についても、攻撃的写実主義によって貧困層の受難を描写する点で、自分と共通点があると考えていた。
オランダの画家では、聖書の場面を人間性あふれる豊かな感性ととも描いたレンブラントを賞賛し、フランス画家のオノレ・ドーミエの、民衆版画で、権威を嘲笑う手法に共感していた。
そしてミレーは、ゴッホが最も賞賛した画家だった。宗教的な主題を直接描くのではなく、働く農民に尊厳を与えるその手法は、聖書の世界に深く関わっていると考えたからである。

1886年、ゴッホはパリの弟テオのところに同居した。初めてモネ、ルノワール、ドガ、ピサロなどを目の当たりにした。印象派の影響で、ゴッホの絵はくすんだ色彩から、一気に生き生きした色彩へと変貌した。

1888年南フランスへ行ってからは、作品は外見以上に深いものを主題として求め続け、ゴッホの心情を表現するようになり、ますます個性的になっていった。
1890年7月、オヴェールで自殺した。生前に売れた絵は1点だけだったが、その頃には既に、画家仲間から作品は知られるようになり、評価され始めた時期であった。」・・・・

生前1枚しか売れななかったゴッホの絵画

2016年03月16日 | 日記・エッセイ・コラム
フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh/1853-1890)は、オランダに生まれ、主にフランスで活動した後期印象派の代表的画家です。37歳で夭折した天才でした。
ゴッホが画家を志したのは、27歳になった1880年のことです。ブリュッセルでデッサンの勉強を始め、1881年、28歳の時にに実家の自宅に画室を作ったのです。それまでは職を転々としていたのでした。
ですからゴッホの画家としての活動はたった約10年間と短いものでした。その10年間で描いた油彩は900点であると言われています。
しかし生前に売れた絵はたった1枚、『赤い葡萄畑』だけでした。
現在でこそ極めて高い評価を得ていますが、不遇の生涯を送り、弟テオドールの援助でなんとか生活していたのでした。
そして現在有名な傑作は晩年の2年半に集中しているのです。
1888年2月から1890年7月に制作されたものです。
以下の7枚の写真に私の好きな彼の絵をお送り致します。
ゴッホの絵画について一つだけ私の体験的な感動を書かせて下さい。
それは中年の頃、アメリカのある町で仕事をしていた時のことです。そこの市立美術館にゴッホの絵が2枚だけあったのです。
仕事に行きづまり、落ち込んで、孤独に苦しんだことが何度かありました。そのたびにゴッホの絵を見に行ったのです。感動します。胸が熱くなります。孤独感が雪解けのように消えて行きます。勇気が湧いてきます。また仕事に対する情熱が燃えたのです。
ゴッホの傑作は何点も以前にフランスの美術館で見ていました。アメリカのその町の市立美術館の2点は決して良い出来ではありませんでした。しかしその筆使いと部分的な色彩が、以前に見た感動的な作品を瞬時に眼前に現わしてくれるのです。
絵画から勇気を貰い仕事に対する情熱を貰った経験は生涯一度だけでした。
マネーもモネーもルノアールも美しい絵を残しました。シスレーもセザンヌの絵画も感動的です。
しかしゴッホの絵から受けたような甚大な影響はありません。ゴッホの絵は私の体を揺さぶります。そして生きていることへの歓喜を与えてくれます。ふたたび仕事へ対する情熱に火をつけてくれたのです。
現在80歳になった私は仕事を止めて久しいのです。もう仕事のことはすっかり忘れました。しかしゴッホの絵から貰った歓喜と情熱を憶えています。
今朝、彼の絵を沢山みながら自分の好きな7点を選びました。それは実に楽しい仕事でした。快い静かな時間がゆっくり流れて朝が過ぎ行きます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

上は1888年の「ローヌ河の星月夜」です。

上は同じく1888年の「夜のカフェテラス」です。

上も1888年の「黄色い家」です。

上は1890年の「カラスのいる麦畑」です。

上は1888年の「アルルの跳ね橋」です。

上は1889年の「星月夜」です。

上は1888年の「ファン・ゴッホの寝室」です。

上はパリの北にあるオーベールにあるゴッホの墓と弟テオの墓です。

ヨーロッパの春の花・花の都パリ・ユトリロのパリ風景画

2016年03月14日 | 日記・エッセイ・コラム
今日はつまらない連想ゲームをしながら春の花の写真とユトリロのサクレクール寺院などの風景画をお送りします。
Face Book で知り合った方にフランスで幸せに暮らしているもと日本人の方がいます。夫はフランス人で、お孫さんまでいる方で、私の記事へ対して知性あふれる、そして楽しいコメントを毎日のように下さいます。
そこでフランスやヨーロッパでは春になるとどのような花が咲くのだろうとインターネットで調べてみました。
いろいろな花が春になると咲きますが、コブシ、セイヨウハナズオウ、アネモネの3つの花を選んで3枚の写真をお送りします。
写真の出典は、「神戸大学発達科学部の春の花」(http://www-2011.h.kobe-u.ac.jp/2016.html )です。

上の写真はコブシです。日本にも春になると樹いっぱいに白い花が咲きます。
果実の形が「握りこぶし」に似ています。花は葉が出る前に枝全体を覆うように咲き、春の到来を教えてくれます。

上の写真はセイヨウハナズオウです。マメ科ハナズオウ属の花です。4~5月に咲くそうですが、ヨーロッパでは庭木として植えられているそうです。

上はアネモネです。キンポウゲ科アネモネ属で花の色は赤、桃、白、黄色、紫などといろいろあります。4月から5月にかけて咲くそうです
花の女神フローリスに仕えた美しい妖精「アネモネ」の化身といわれています。
アネモネは日本の花屋さんでもよく売られていますね。

さてヨーロッパの花と言えば、「花の都パリ」を連想する方も多いと存じます。
そこで美しいパリの風景写真を探しましたが、途中でやはりユトリロの絵の方が良いと思いました。
そこでユトリロの油彩画を2枚お送りします。
ユトリロはパリのモンマルトルの生まれなので、生涯、愛着を持ってモンマルトルの景色を描いています。
2点の油彩画の出典は、http://nekoarena.blog31.fc2.com/blog-entry-2628.html です。

上はサクレクール寺院の見える風景画です。晩年の作品です。ユトリロがモンマルトルに居た期間は短かったそうですが、過去の自分の絵や
絵葉書を元にして、何度もモンマルトルを描いています。

上はパリの北にあるモンマニー街の風景です。義父のポール・ムジスの建てた家のあった所だそうです。

つまらない連想のつながりで済みません。花とくれば花の都パリ、そしてパリとくればユトリロのパリの街の風景画という連想のつながりです。昔、サクレクール寺院にブラリと入って暗いお堂のなかで祈ったことを懐かしく思い出しています。何を祈ったかは綺麗さっぱりと忘れてしまいましたが。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

マスコミの国際ニュースから消えた日中、日韓問題、代わりにトランプ旋風

2016年03月14日 | 日記・エッセイ・コラム
最近、マスコミが尖閣諸島問題や慰安婦問題はあまり取り上げなくなったようです。代わってアメリカの大統領の予備選挙に関連したニュースを盛んに報じています。一方、大規模な韓米合同演習で米国の原子力空母がわざわざ本土から釜山へやって来ました。
ヨーロッパではシリアからの難民を200万人も受け入れると言っていたメルケル首相が猛反対にあって立往生しています。
私は国際ニュースに興味があります。非常に興味があります。それらは日本の安全と平和に直接関係しているようなニュースが含まれているからです。毎日、読売新聞の国際ニュースのページを丁寧に読んでいます。
しかしニュースの背景や外国の国内事情は分かり難いものです。
背後の事情がさっぱり分かないのに国際ニュースを取り上げて記事を書くのです。ですから以下は私の個人的な想像にもとずいた感想に過ぎません。違う感想をお持ちの方々はどんどんご意見をお送り下さい。しかし他国を悪しざまに誹謗するコメントはご遠慮下さい。

さて尖閣諸島問題にニュースが無くなったのは中國が南沙諸島に軍用滑走路を作り、ミサイルを配備し、軍事基地化をしているニュースの重大性のかげに隠れているからでしょう。尖閣諸島問題が解決したわけではありません。しかし報道がなくなると日本人の感情的な発言が少なくなったようです。冷静に深く考えることの方が良いに決まっています。

一方、慰安婦問題は昨年、政治的な決着がつきました。後は慰安婦象をソウルにある日本の大使館の前から撤去する問題が残っています。
それよりも重大なニュースは北朝鮮の軍事行動の予測です。今までにない大規模な米韓軍事演習が北朝鮮を刺激します。中国を含めた欧米諸国の北朝鮮へ対する経済制裁が一段と厳しく課せられています。
中国から北朝鮮へ送られる航空機の燃料も止められるという噂があるくらい北朝鮮の包囲網が厳しくなっているのです。

苦し紛れに北朝鮮が先制攻撃をしたら日本にある米軍基地にミサイルが飛んでくるのです。最終的には米韓両軍が北朝鮮を占領して戦争が終るでしょう。しかしそれに至るまで修羅場の戦乱が続くのです。これほど日本の安全と平和にとって重大なものはありません。
日本のマスコミは北朝鮮の先制攻撃が絶対に無いという楽観主義に立って大規模な米韓合同軍事演習のニュースを流しています。そのような報道ぶりに疑問を感じざるを得ません。

最近の国際ニュースの紙面はトランプ氏に関するニュースで占められています。彼は最終的に共和党の大統領候補として指名されるような勢いで予備選挙レースを勝ち進んでいます。この差別主義で排他的な大統領候補を多くのアメリカ人が支持している事実は確かに重大な現象に違いありません。
もし来年、彼が本当に大統領になったなら日米安保を見直す必要があるかも知れません。日米経済交流も間違いなく日本側が不利になります。彼は偉大なアメリカの再来を主張しています。中東のイスラム国殲滅の為にアメリカの地上軍を派遣するかも知れないのです。もし彼が大統領に就任したら現在の国際関係がもっと緊張した状態になるでしょう。日本にも海外派兵の要請をしかねないのです。
彼はプーチンさんが好きだと言っています。ロシアと何か取引をするのでしょうか?
このようにトランプ氏に関するニュースは日本の安全と平和に直接的に関係しているのです。マスコミがそのニュースを大きく取り上げるのは理解出来ます。その上、彼はアメリカのマスコミにトランプ旋風のような取り上げ方をされているようです。日本のマスコミも追随したくなります。

さて遠方のヨーロッパに目を移してみましょう。
シリア難民が200万人以上も流れ込むという恐怖がヨーロッパ諸国に広がっています。唯一、ドイツのメルケル首相が難民受け入れに賛成です。しかしこの難民問題はヨーロッパ連合の団結を揺さぶっています。イギリスの脱退の可能性も含めてヨーロッパ連合の理念がもう一度問われているのです。各国が排他的で孤立主義の傾向を強めているのは人情の自然な方向なのでしょうか。

それにしても私個人は多くのアメリカ人が差別主義者のトランプ氏を支持していることに大きなショックを受けています。
若いころアメリカに留学し、アメリカの理想主義に心酔し、アメリカ社会を尊敬した私は、彼らが急に排他的になったのでショックなのです。アメリカの自由で平等な精神は地に落ちたのです。あんなにも輝かしい人権外交が消えてしまって久しいのです。
中国はチベットで、ウイグル地区でしたい放題です。
それらはトランプ旋風が原因になっている訳ではありませんが中国の他民族への圧政は一層強まる方向に推移するでしょう。

最近の国際ニュースの中の明るい話を書いてお終いにします。
それはローマ法王のフランシスコさんがロシア正教のトップと会談し、西暦1000年頃以来続いたカトリックとロシア正教との反目と対立を解消して和解したというニュースです。ロシアが和解したので東ヨーロッパの各国の正教会がカトリックと和解するのです。
この和解の大きな影響は今日は省略します。
以上は最近の国際ニュースに関する私の個人的な感想です。感想ですから間違った部分も多いと存じます。ご意見をお待ちしています。
今日の挿絵の写真は昨日撮った白いモクレンの花の写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)





「白いモクレンが咲く、春は間違いなくやって来る!」

2016年03月13日 | 写真
午後に、桜が丘公園までドライブに行きました。何と、大きな白いモクレンが咲いているではありませんか!
ここ数日、雨模様の寒い日々が続いていたので春が本当にやって来るのか心配でした。しかし季節は間違いなく動いています。春が間違いなくやって来ます。









カトリックでは教会の扉は何時でも開いている・・・カトリック成城教会に入ってみました

2016年03月13日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は日曜日なので軽い宗教に関する記事を書きます。
カトリック教会の扉は、全世界で共通していつも開いています。だれでも自由に入ってお祈りできます。一休みして、内部を見物して良いのです。入場料は一切いりません。
昔、私はヨーロッパの旅の途中でカトリック教会を見つけると必ず入って一休みしたものです。
丁度、神社やお寺にブラリと入るのと同じ気分なのです。
一昨日はカトリック成城教会へ遊びに行きました。
復活祭が終わると東京司教区の神父さんたちの定期移動が行われます。
その定期移動によると私共とご縁の深い神父様がカトリック成城教会の主任司祭として着任されるのです。
着任されたら成城教会のミサにもあずかろうと思います。そのための下見もかねて一昨日訪問してみたのです。
扉は開いていました。その昔風の落ち着いた教会の中に入り、お祈りをしてきました。
その時撮った光景を1番目、2番目、3番目の写真にお送りいたします。





写真に示したカトリック成城教会は、1953年11月に日本家屋からはじまりましたが、翌々年3月に新聖堂が落成し、2005年には献堂50周年を迎えたそうです。
信徒は約2,000名となり、様々な活動が行われています。交通にも便利な立地です。
詳しくは、http://www.seijo-church.com/mass.html に出ています。
カトリック教会のミサの内容を簡単に説明いたします。
ミサは「み言葉の祭儀」「感謝の祭儀」から成り立っています。
前半の「み言葉の祭儀」は聖書の言葉が朗読され、それについて神父が説教をします。
後半の「感謝の祭儀」では司祭は最後の晩餐の再現を行います。信者は司祭よりパンと葡萄酒を頂き、ミサに参加したことによって勇気と力を得ます。ミサの間は聖歌を幾つも歌います。
そしてミサは約1時間で終わります。
カトリック成城教会のミサのスケジュールは以下の通りです。
•平日のミサ  7:00
•初金ミサ  10:00
•土曜日(夕べのミサ) 18:00
•日曜日(主日ミサ)  8:30/10:00

さて私共は毎週日曜日のカトリック小金井教会のミサにあずかります。
そこで私共のカトリック小金井教会のミサの光景を4番目と5番目の写真で示します。主任神父さまはヨゼフ・ディン神父さまです。

上の写真は主任司祭のヨゼフ・ディン神父さまがミサのはじめの祈りをしているところです。

上の写真は洗礼志願者の一人の青年にヨゼフ・ディン神父が祝福を与えているところです。
なおカトリック小金井教会のミサの時間は以下の通りです。
主日のミサ:土曜日 18:00  日曜日 7:00 時と10:00時。
週日のミサ:6:30です。
詳しくは、http://tokyo.catholic.jp/archdiocese/church/tama/16037/ に出ています。
以上はカトリック教会では何をしているのかを説明したものです。
一般に宗教というものはとかく閉鎖的になります。それを気楽に公開し、一般の方々に知って頂くのが大変重要なことと私は信じています。宗教を閉鎖的にすると狂信的になりがちです。狂信的な宗教は人々の迷惑になります。悲劇も起こします。
宗教は明るく開放的でなければいけないと私は信じています。そんなことを考えながらこれから四旬節第五の主日のミサに行ってきます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)