著者の石山望さんはイギリスに永住している私の友人です。趣味人倶楽部に時々イギリス社会の実態を投稿されています。住んでいなければ理解出来ない社会の実態です。
今日ご紹介する文章は2月1日に投稿されたものです。大変貴重な内容なので、この欄でもご紹介しようと思いつつ、あっという間に時が過ぎてしまいました。
EUの離脱を国民投票で決定したイギリス人は愚かでしょうか?
年月が過ぎてやがて歴史が教えてくれるでしょう。ご一読下さい。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
今日の挿し絵代わりの写真は陽光を受けて生き生きと咲く花々の写真です。
先週、三鷹市の「花と緑の広場」で撮って来ました。
===石山望著、「英国が揺らいでいる、大きく揺らいでいる」======
英国(UK)が揺いでいる。大きく揺らいでいる。。ご存知だと思う。
英国がEU(欧州連合)を離脱するため。その期日が3月29日。もう2ヶ月というところまで来た。
EUというのは、第二次世界大戦直後の廃墟と化した欧州(大陸部分の)を、皆で協力して立て直そうということで、ドイツ、フランス、それにイタリア、ベネルックス3国が発起国になり、1952年に発足した。
いわば、欧州連邦を作ろうというわけ。経済的協力、それにいろんな決まりも基を一にする。何より、国境がないのも同然であるから、人の往き来が自由である。どこでも仕事ができる
そうすればまず、戦争が起こることもないであろう。今では、28ケ国に膨れ上がった。ご存知の通り、その大抵の国で、統一通貨が使える。ユーロ(英国は、これを使ったことがない。正しい選択であったと思う)。
ただ、英国が、このEUに加盟するのは、ずっと後のことで、1973年、保守党ヒース首相の時。
その頃、英国は「英国病」などと言って、恥かしい汚名を頂戴し、経済は混迷していた。ストライキも多かったし。ヒースは、EUに参加することによって、なんとか活路を見出そうとしたのではないであろうか。
しかし、英国の経済が本当に回復するのには、ヒース退陣後5年からのサッチャー政権を待たなければならなかった。
それはそれとして、EU。
英国は、ヨーロッパに属すると言っても、島国であって、大陸部のヨーロッパ諸国とは大いに違う文化を育んできた。また、EUの一員だと、他の国からの移民を多く受け入れなければならない。こういうことを苦々しく思う国民もまた多かった。
したがって、英国では、EUに加盟してからも、他のヨーロッパ諸国とは「一線を画したい」という人間が非常に多く、それが、EU加盟後43年、2016年の国民投票で爆発した。
時の保守党首相キャメロンが、「EUに存続するか、否か」ということを世に問うたのである。どうやら、国会議員の中の多くの離脱派から圧力をかけられたらしい。
首相自身は、「存続派」であったから、どうしてそんな危ない橋を渡るのかと、私には不思議であったが、それは、その前の総選挙での、保守党公約であったという。私、これは立派であると思う。何しろ、この国、「選挙公約(マニフェスト)は、きちんと履行するもの」という大前提がある。
そして、2016年6月の国民投票では、なんと離脱派が51%の票を集め、存続派を100万人の差で破ってしまったのである。
蜂の巣をつついたような大騒ぎ、それからというもの、英国では、政治家も一般国民も、その話で明け暮れた。
キャメロン首相、この人は存続派であったので、たちどころに辞職。すぐに、女性のメイ内務大臣が後を継いだ。この人も、もともと存続派であったが、そんなことは言ってられない。英国EU離脱に向けて、何とか、お互いに納得のいく「離婚策」はないものかと、英国とEUの間を奔走した。
手切れ金を払う、これは、一番手間のかからない問題で、もっと厄介なのがいくつかある。EUを離れると言っても、離脱後、それらEU諸国と、国交を断つ訳ではない。貿易をするのである。その折の関税の問題をどうするか。また、困ったのが、アイルランドと北アイルランドの国境問題。それらは当然地続きで、もともと同じ国。今の所、国境と言っても何にもない。しかし、アイルランドはEU国で、英国がEUから抜けると、北アイルランドは、UKの一部であるので、じゃ今度は、はっきりした国境線を作らないといけないのか、。
昨年暮れ、メイ首相が、ブラッセルのEU幹部と掛け合い、英国離脱の条件を取り付けてきた。もちろん、理想的とはいえず、あくまで「妥協案」である。
これ以上は望めないという妥協案。EUも、そう言っている、「これ以上は、譲歩できません」。
しかし、英国では、いくら首相がそういう案を持ってきても、それが国会で通らなければ、法案にはならない。
はじめのその妥協案は、国会ではねられることがわかっていたので、メイ首相、再度ブラッセルと掛け合い、少しは、色よい案を持ってきた。
それでも、それを議案として提出すると、大きく負けてしまった。
それから、少しづつ「歩み寄り」があるが、目下の状況はそんなところである。誰にも先行きはわからない。
私、密かに思うが、こういう状況に日本が置かれるということは、ちょっと考え難い。
日本の与党党首(すなわち首相)が、何か議案を持ってきたとしよう。もしその与党が、国会で過半数の議員数を有するならば、その与党議員は、全員、その議案に賛成するはず。だから、この議案は法案として成立することになる。
ここで問題は、その首相が持ってきた議案というのが、多くの国民の反感を買うような、鼻持ちならないものであっても、という点である。
それが、英国では、そう簡単ではない。それは、与党議員の中に、党首である首相に、正面切って、はっきり「ノー」という人がいくらでもいるからのことである。因みに、メイ首相の保守党は、現行の国会で、過半数をわずかに下回る。
そういう時、日本人のやり方だと、なんとかして、事態を「丸く」納める方向に持っていくのではないであろうか。私は、そう思う。
どちらが、健全な、国会のあり方であると、皆様は思われるか。
PS:それにしても、一国の首相か大統領にになるほどの人は、実にタフ。いつも、感心している。ただ、それだけでも。
===================================
今日ご紹介する文章は2月1日に投稿されたものです。大変貴重な内容なので、この欄でもご紹介しようと思いつつ、あっという間に時が過ぎてしまいました。
EUの離脱を国民投票で決定したイギリス人は愚かでしょうか?
年月が過ぎてやがて歴史が教えてくれるでしょう。ご一読下さい。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
今日の挿し絵代わりの写真は陽光を受けて生き生きと咲く花々の写真です。
先週、三鷹市の「花と緑の広場」で撮って来ました。
===石山望著、「英国が揺らいでいる、大きく揺らいでいる」======
英国(UK)が揺いでいる。大きく揺らいでいる。。ご存知だと思う。
英国がEU(欧州連合)を離脱するため。その期日が3月29日。もう2ヶ月というところまで来た。
EUというのは、第二次世界大戦直後の廃墟と化した欧州(大陸部分の)を、皆で協力して立て直そうということで、ドイツ、フランス、それにイタリア、ベネルックス3国が発起国になり、1952年に発足した。
いわば、欧州連邦を作ろうというわけ。経済的協力、それにいろんな決まりも基を一にする。何より、国境がないのも同然であるから、人の往き来が自由である。どこでも仕事ができる
そうすればまず、戦争が起こることもないであろう。今では、28ケ国に膨れ上がった。ご存知の通り、その大抵の国で、統一通貨が使える。ユーロ(英国は、これを使ったことがない。正しい選択であったと思う)。
ただ、英国が、このEUに加盟するのは、ずっと後のことで、1973年、保守党ヒース首相の時。
その頃、英国は「英国病」などと言って、恥かしい汚名を頂戴し、経済は混迷していた。ストライキも多かったし。ヒースは、EUに参加することによって、なんとか活路を見出そうとしたのではないであろうか。
しかし、英国の経済が本当に回復するのには、ヒース退陣後5年からのサッチャー政権を待たなければならなかった。
それはそれとして、EU。
英国は、ヨーロッパに属すると言っても、島国であって、大陸部のヨーロッパ諸国とは大いに違う文化を育んできた。また、EUの一員だと、他の国からの移民を多く受け入れなければならない。こういうことを苦々しく思う国民もまた多かった。
したがって、英国では、EUに加盟してからも、他のヨーロッパ諸国とは「一線を画したい」という人間が非常に多く、それが、EU加盟後43年、2016年の国民投票で爆発した。
時の保守党首相キャメロンが、「EUに存続するか、否か」ということを世に問うたのである。どうやら、国会議員の中の多くの離脱派から圧力をかけられたらしい。
首相自身は、「存続派」であったから、どうしてそんな危ない橋を渡るのかと、私には不思議であったが、それは、その前の総選挙での、保守党公約であったという。私、これは立派であると思う。何しろ、この国、「選挙公約(マニフェスト)は、きちんと履行するもの」という大前提がある。
そして、2016年6月の国民投票では、なんと離脱派が51%の票を集め、存続派を100万人の差で破ってしまったのである。
蜂の巣をつついたような大騒ぎ、それからというもの、英国では、政治家も一般国民も、その話で明け暮れた。
キャメロン首相、この人は存続派であったので、たちどころに辞職。すぐに、女性のメイ内務大臣が後を継いだ。この人も、もともと存続派であったが、そんなことは言ってられない。英国EU離脱に向けて、何とか、お互いに納得のいく「離婚策」はないものかと、英国とEUの間を奔走した。
手切れ金を払う、これは、一番手間のかからない問題で、もっと厄介なのがいくつかある。EUを離れると言っても、離脱後、それらEU諸国と、国交を断つ訳ではない。貿易をするのである。その折の関税の問題をどうするか。また、困ったのが、アイルランドと北アイルランドの国境問題。それらは当然地続きで、もともと同じ国。今の所、国境と言っても何にもない。しかし、アイルランドはEU国で、英国がEUから抜けると、北アイルランドは、UKの一部であるので、じゃ今度は、はっきりした国境線を作らないといけないのか、。
昨年暮れ、メイ首相が、ブラッセルのEU幹部と掛け合い、英国離脱の条件を取り付けてきた。もちろん、理想的とはいえず、あくまで「妥協案」である。
これ以上は望めないという妥協案。EUも、そう言っている、「これ以上は、譲歩できません」。
しかし、英国では、いくら首相がそういう案を持ってきても、それが国会で通らなければ、法案にはならない。
はじめのその妥協案は、国会ではねられることがわかっていたので、メイ首相、再度ブラッセルと掛け合い、少しは、色よい案を持ってきた。
それでも、それを議案として提出すると、大きく負けてしまった。
それから、少しづつ「歩み寄り」があるが、目下の状況はそんなところである。誰にも先行きはわからない。
私、密かに思うが、こういう状況に日本が置かれるということは、ちょっと考え難い。
日本の与党党首(すなわち首相)が、何か議案を持ってきたとしよう。もしその与党が、国会で過半数の議員数を有するならば、その与党議員は、全員、その議案に賛成するはず。だから、この議案は法案として成立することになる。
ここで問題は、その首相が持ってきた議案というのが、多くの国民の反感を買うような、鼻持ちならないものであっても、という点である。
それが、英国では、そう簡単ではない。それは、与党議員の中に、党首である首相に、正面切って、はっきり「ノー」という人がいくらでもいるからのことである。因みに、メイ首相の保守党は、現行の国会で、過半数をわずかに下回る。
そういう時、日本人のやり方だと、なんとかして、事態を「丸く」納める方向に持っていくのではないであろうか。私は、そう思う。
どちらが、健全な、国会のあり方であると、皆様は思われるか。
PS:それにしても、一国の首相か大統領にになるほどの人は、実にタフ。いつも、感心している。ただ、それだけでも。
===================================