後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「4月はヒナゲシ、虞美人草の花が咲く季節」

2020年04月16日 | 日記・エッセイ・コラム
毎年4月になると三鷹市の緑と花の公園にヒナゲシが一面に咲いて心地良い風に揺れています。
ヒナゲシはケシの仲間ですが毒がありません。ヨーロッパ中部の原産ですが昔から中国にもあり虞美人草と呼ばれています。
昔の日本人は虞美人草の花と呼んでいましたが最近の人はヒナゲシと言います。ポピー、コクリコも同じ花です。
虞美人とは秦末の虞(ぐ)という美人に由来する名前です。
それはさていおき虞美人草の花の写真を示します。三鷹市の緑と花の公園で撮った写真です。









さて虞美人草の由来ですが項羽が敗れた時、愛人の虞も潔く自殺し、その墓のそばに咲いた花が現在のヒナゲシだったのです。それでその花を虞美人草と言うのです。
項羽が劉邦に敗れて追い詰められた時に、死を覚悟した項羽が詠った「垓下の歌」が残っています。虞はその歌に合わせて舞ったそうです。 そして自殺したのです。
項羽が作った漢詩です。
力拔山兮氣蓋世 (力は山を抜き、気は世を覆う)
時不利兮騅不逝 (時利あらずして 騅逝かず)
騅不逝兮可奈何 (騅の逝かざる 如何すべき)
虞兮虞兮奈若何 (虞や虞や 汝を如何せん)

この漢詩は 垓下歌(垓下の歌)として『史記』巻7項羽本紀 第7(司馬遷)にあるそうです。
この舞の後に彼女は自害します。彼女を葬った墓に翌年赤くこの花が咲いたという伝説から虞美人草と言うのです。
そんな悲しくもロマンチックな伝説があるので後の世の詩や小説の題に使われています。
例えば夏目漱石の小説にも「虞美人草」というものがあります。夏目漱石の新聞小説で1907年に朝日新聞に連載された小説です。驕慢な女主人公,巻末で自死する「藤尾」を例えたのでしょう。

それにしても同じ花なのにポピ^、コクリコ、ヒナゲシの花と言ったとき連想する明るいイメージと、虞美人草と言った時の悲しいイメージが全く違います。この落差に混乱するのは私だけなのでしょうか?

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「ある陸軍士官学校卒業生の思い出」

2020年04月15日 | 日記・エッセイ・コラム
昭和11年に生まれた私はGHQ指導の戦後教育を受けました。日本の軍国主義は悪いということを徹底的に教わりました。
その日本の軍国主義を作りあげたのが陸軍士官学校の卒業生たちだとも教わりました。ですから私は陸軍士官学校は悪い学校だったと信じていました。長い間そう信じていました。
ところが4年ほど前に陸軍士官学校の卒業生の方と直接知り合いました。非常に紳士的な方でしたのでお互いの家に招待して親しくなりました。陸軍士官学校の卒業生にこんな穏やかな紳士がいることに衝撃を受けたのです。
陸軍士官学校は悪い学校だったと長い間信じて私は動揺し、自分の浅薄な考えが恥ずかしくなったのです。

今日はその陸軍士官学校の卒業生の思い出を書いてみたいと思います。
その方は田中和彦氏と言います。現在97歳、陸軍士官学校第57期生です。
終戦の頃は陸軍中尉として戦闘機、隼(はやぶさ)に乗っていたそうです。陸軍士官学校入学は昭和16年以前でした。
彼は旧制の中学校を5年で卒業し、競争率24倍の陸軍士官学校に入学し、第57期生として卒業後、航空士官学校に転校しました。
航空士官学校では陸軍97式高等練習機で操縦訓練を受け、続いて隼(はやぶさ)という戦闘機で訓練を受けました。実戦には出撃しませんでしたが陸軍の戦闘機編隊を満州まで運ぶための渡洋遠距離飛行に参加しました。帰りは満州から朝鮮半島を縦断する長い汽車の旅だったそうです。隼の早さを実感したのです。
終戦の時は陸軍中尉でした。戦後は大学に入り、実業界で外資系会社の日本支社の代表取締役を歴任し、その後は自分で会社をつくり社長を18年間務めました。このような経歴を書くとぎらぎらした欲深い人間のように見えますが、田中和彦氏はあくまでも清廉で、実に温厚な紳士です。
ここで田中氏が乗っていた飛行機の写真を示します。

1番目の写真は操縦訓練を受けた陸軍97式高等練習機です。写真の出典は、
https://twitter.com/rikugun_kokuki/status/653429793506000896 です。
この飛行機の生産数は3710機で、陸軍練習機では最も多く、沖縄戦では多くの機体が特攻機として出撃している戦闘機でした。

2番目の写真は一式戦闘機、隼(はやぶさ)です。

3番目の写真も一式戦闘機、隼(はやぶさ)です。写真の出典は、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%BC%8F%E6%88%A6%E9%97%98%E6%A9%9F です。
隼は陸軍の主力機として使用されます。総生産機数は5,700機以上で、旧日本軍の戦闘機としては海軍の零式艦上戦闘機に次いで2番目に多く、陸軍機としては第1位でした。

さて陸軍士官学校でどのような教育受けたのでしょうか?
田中和彦氏の話によると真珠湾攻撃後は急に修了年限が短縮され、教科の名前も戦術学、戦史、軍制学、兵器学などから「学」の字が削除され実戦向きの内容に変更されたそうです。教科内容も半分くらいに簡略化されたそうです。
しかし英語・フランス語・ドイツ語・ロシア語・中国語は最後まで教科の中にあり田中氏はロシア語を最後まで勉強していたそうです。
田中氏から私は陸軍士官学校の教育の内容を詳しく聞きました。教育の内容は悪いものではありません。
問題は明治維新以来の日本民族の富国強兵思想にあったのです。
日本人が武力こそが重要だと信じていたことに問題があったのです。日本民族の思考力の問題だったのです。
田中和彦氏の父上は陸軍少将で日中戦争で戦死しました。実兄は陸士53期で大佐でした。終戦直前に満州に雪崩れ込んだロシア軍を迎え撃って戦死しました。
陸軍少将だった父を毎朝当番兵が馬を連れて迎えに来ます。和彦氏は乗馬姿で出て行く父の姿を毎日見て育ったそうです。何も考えずに自然に陸軍士官学校に進むような家庭環境だったのです。

一昨日私は高齢者向けのホームに入っている田中和彦氏を久しぶりに訪問しました。コロナ問題でホームの建物には一歩も入れませんでした。顔見知りの親切な受付の女性が田中和彦さんは元気ですよと言います。安心して帰って来ました。
そうしたら昨日、田中和彦さんから鄭重な文面の葉書が来たのです。文字が分かり易く戦前の美しい日本語です。
私は田中和彦さんはやっぱり本物の紳士だと感じ入りました。そして和彦さんをそのように育てた母親が偉かったのだろうと思いました。
今日はある陸軍士官学校の卒業生の思い出を書いてみました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「容貌の美醜による差別の無い社会になるように祈りつつ、、、」

2020年04月14日 | 日記・エッセイ・コラム
私の友人の石山さんは長くロンドンに住んでいます。そして日本に住んでいた頃の思い出やイギリスでの生活にかんする随筆を書いています。日本の社会はイギリスのようになるべきだという説教臭い文章でないのです。日本の社会で体験した悲しい思いをただ正直に書いているだけです。それだけに素直に心に沁みる文章です。石山さんは意図していませんが日本の社会に対して考えるべき問題を提起しているのです。そのような石山さんを私は好きです。決して偉そうにしません。悲しむ人に心を寄せる人間らしい人です。
そんな石山さんの最近インターネットに発表した文章を以下に転載いたします。転載を承諾して下さった石山さんへ感謝します。
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石山 望 著、「英国の一卵性双生児」

アダム ピアソン(Adam Pearson)さんはイギリス人。35歳。
双子の兄(弟)がおられる。ニール(Neil)さん。でも、このご兄弟を見て、一卵性双生児だと思う人は、まずおられないであろう。
それほど、似ても似つかない。しかし、お二人の仲はとてもいい、絆がとても強いのである。
アダムさん、TVによく出ておられたから、お顔は知っていた。それも当然で、一度見れば、誰も決して忘れられないお顔である。
https://www.mirror.co.uk/…/agony-identical-twins-born-rare-…をご覧下さい。
1985年、彼とニールさん誕生。かわいい双生児である。そこまでは良かったのであるが、アダムさん幼少の時、頭蓋骨の中にいくつもの突起物ができ始め、彼の顔は、異様に変化した。実に異様な変化である。そして頭蓋骨も大きい。片目は、間も無く失明。もう1つの方も、視力が徐々に落ちているという。
これまでに受けられた手術の数はなんと33回。大抵は、整形手術だと思うが、もっと厄介なものもあったであろう。
そして、ニールさんはといえば、表面的には何も変わったところがなく、美男子の青年である。しかし、そこで話が終ったかと思いきや、彼には、独自の問題があった。記憶力の喪失、そして、癲癇症状の発生である。今、医療関係の図書館に勤めておられるから、ごく特定の事柄に関しては、記憶力をお持ちなのであろう。
さて、問題のアダムさんであるが、この人、幸い、症状が頭脳にまで及ぶことはなく、非常に聡明である。話し方も、筋道が通っていて、聴いていると、彼の顔のことなど忘れ、楽しい。
よくTVに出てこられるが、それは、芝居の俳優としての時もあり、何か、深刻な討論会で、自分の意見を述べておられる時もある。勿論、ご自身のような症状を持っておられる人たちのための支援も、進んでしておられる。
大学出。大学では、「ビジネス管理」を専攻。学位を持っておられる。将来、いい女性に出会えれば、結婚して、子供を持ちたいのだそうである。なんとも、ご立派なこと。
ただ、私、アダムさんが本当に立派だと思うのは、いつも堂々としておられること。街を平気で歩かれるし、少しも卑屈なところがない。「これが、ワシの顔じゃ。文句あっか!」。始めから、そんなではなかったと思うが、いつの日にか、そういう境地に到達されたのであろう。ジタバタしても、どうしようもない。じゃ、ありのままの自分を受け入れるしかない。
私、英国、そして英国人のそういうところが、非常に好きである。

私、日本にいた時、いわゆる「兎唇」症状の女性を3人知っていた。いずれも京都での話。しかし、実に悲惨なことに、そのうちの二人までが「自死」された。そう、自死である。
そのお一人は、私の家の近所におられたから、よく覚えている。この女性の渾名が「ホガちゃん」。彼女は、このアダ名を耳にするたび、胸に刃物を突き刺されたように、死ぬほど嫌だったのであろう。
私が、英国に来てからも、もうお一人、同じ症状を持たれる日本人女性を知っていたが、彼女は、早くに英国人男性を見つけ、幸せな結婚をされていたように思う(ちなみに大阪出身)。
この話を、医療社会学専攻の英国人に言ったところ、その英国人、呆れて物が言えないという顔をされた。兎唇程度のことで、自らの命を絶つのか??

英国に、いい男優がいる。その人、兎唇。しかし、非常に魅力があり、演技力もあるので、そんなの、この国では大した問題にはならない。
私、目下75歳。人間これくらいの歳になると、昔、若い時には歯牙にもかけなかった様なことを知りたいと思うものである。
私の母の叔父に、生涯独身で、仕事もせず、草深い田舎に一人蟄居しておられた方があった。
彼の「のぶさん」という名前は、兄姉の話によく出てきたから、知っていた。この頃になって、その「のぶさん」のことを知ってみたいと思うようになった。どういう理由でそういうことになられたのか?
明治のこととあって、どこの家も子沢山。その中に、どこか不都合な子供がいても、べつだんふしぎではない。むしろ、その方が自然である。
ただ、そういう都合の悪いのは「隠す」という風潮が嫌なだけである、私。
私のその疑問に答えられる人は、私の20歳上の姉であったが、彼女、昨年亡くなってしまった。年長の従姉妹に訊けばいいのかもしれないが、そうすると、彼女、「何でそんなこと、知りたいの?」と言うであろう。
私のことを言う。
私が日本を出たのは、丁度44年前。理由はいろいろあるが、基本的には、勿論、個人的なことから。
それと、日本という国の「在り方」に、もうひとつ馴染めなかったこと。日本に、私の居場所はないと思っていたのであろう。(終り)
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今日の挿し絵代わりの写真はイングランドの風景写真です。
写真の出典は、https://www.1zoom.me/ja/wallpaper/555018/z13329.4/2560x1440 です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)





「スローライフで、江戸時代を懐かしむ」

2020年04月12日 | 日記・エッセイ・コラム
3月の終わりころ電動車椅子を購入しました。そのことは4月1日の記事、 「電動車椅子とフロンティア社のお薦め」に書きました。
現在はこの電動車椅子と乗用車を併用しています。
天気の良い日は毎日のように近所のスーパーなどに買い物に行きます。教会にも行きます。そして暇さえあれば車椅子で散歩をしています。
車椅子の特徴は遅いことです。最速で時速6Kmです。これを使っていると今迄忙しかった生活がスローライフになります。時間がゆっくり流れます。
車椅子で散歩をしていると今迄見えなかったものが見えてくるのです。道端に開く春の草花、家々に伸びる枝先の若葉等々。歩いている母と幼児の楽しげな表情も見て楽しいものです。

いろいろな発見があり毎日が新鮮になるのです。大げさに言えば新しい人生が始まったのです。
はじめは家内が心配して何処へも歩いて付いて来ましたが、最近は安心して付いて来ません。私は自由になりました。昨日は酒専門店に行ってスペインの発泡酒を買いました。店員さんが瓶を袋に入れ車椅子の背中のフックにぶら下げてくれます。
暖かい春の陽を浴びながら時速6Kmで帰ってきます。今迄車で飛ばしていたのにゆっくり移動するのが楽しく感じるのです。
それでいろいろなことを考えました。自動車の無かった江戸時代以前の人の悠々とした生活に想いを馳せました。
近所に江戸時代に出来た用水路の跡があります。江戸時代に想いを馳せることの出来る場所です。
私どもの住んでいる小金井市は武蔵野にあります。富士山の火山灰に覆われた水捌けの良過ぎる土地です。ちょっとした高台には水田が出来ず、畑作だけの貧しい農村が広がっていました。

江戸幕府は農業用水路をあちこちに作り、新田開発や畑作の収穫増大に努力します。小金井の北半分も高台で畑作だけです。小金井市にも江戸幕府の農業用水路があるのです。
玉川上水から農業用水を取り入れて、小金井分水路が1700年前後に作られました。それ以来、江戸、明治、大正とそして昭和の1960年代まで約260年の長い年月、貴重な水として大切に使われて来たのです。
この小金井分水路は1960年代に使用されなくなりましが、その流路は現在でも保存されています。そしてその分水路に沿って静かな散歩道が玉川上水から山王稲穂神社まで作られています。我が家では、この道のことをロマンティッシュ・シュトラーセという名前をつけて四季折々よく散歩しています。
昨日は稲穂神社から小金井分水路に忠実に沿って玉川上水まで家内と一緒に散歩しながら現在の小金井分水路の写真を撮ってきました。以下のその写真を示します。









このように近所の江戸時代の用水路の写真を撮りながら江戸時代に想いを馳せることの出来るのです。これも車椅子のスローライフのお陰です。スローライフは楽しいものです。

さて皆様のお住まいの所にも昔の農業用水路があって史跡として保存されていると思います。それを散策するのも楽しいものです。如何でしょうか?

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


「今日は復活祭、ミサは動画配信に参加し祈る」

2020年04月12日 | 日記・エッセイ・コラム
日本のカトリックの組織は地方、地方の大司教区が独立して直接ローマ法王につながっています。日本全国の教会の連合組織が無いのです。全国の教会の連絡会があるだけです。
これは重要な効果をもたらします。日本の地方、地方の信者一人一人がフランシスコ法王に直接つながっている気持になるのです。
私の教会は東京大司教区に属しています。しかし私は常に長崎大司教区の動きを見ています。伝統的にそこが日本のカトリックの発祥の地だからです。
それはさておき今日は復活祭です。しかしコロナ感染予防のため、教会でのミサはありません。
そこで東京大司教区が配信しているミサの動画に参加し祈ります。
動画は、https://tokyo.catholic.jp/info/diocese/37890/ にあります。
東京大司教区では、3月30日(月)以降も、当面の間、不特定多数が参加する公開のミサをの中止を継続し、聖週間の典礼も聖香油ミサを含めすべて非公開としています。
東京大司教区の本部の関口教会の協力を得て、主日ミサもインターネット映像で配信しています。
復活祭に関連した聖週間の典礼も配信しています。
中継のミサに与って霊的聖体拝領をし、皆さま各自が聖書を朗読し祈りを捧げることを勧めています。

このような経験は1971年の私の洗礼以来初めてです。49年間で初めての出来事です。
コロナ問題は会社の倒産、従業員の解雇という悲劇を起こしています。それに加えて私のような後期高齢者にとっても直接的な被害を及ぼしているのです。
コロナ問題は人々の考え方を変えて行きます。文化が変革します。これも神が人間に与えた試練です。
今日は復活祭です。東京大司教区が配信しているミサの動画に参加し祈ります。

今日の挿し絵代わりの写真はイエスの復活を描いた18世紀、ポーランドの絵と東京大司教区が配信した今朝10時からのミサの動画の場面です。
ポーランドの絵の出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/復活_(キリスト教) です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)









「現在も論語を教えている足利学校を訪問する」

2020年04月11日 | 日記・エッセイ・コラム
2009年7月に思い立って、栃木県、足利市へ小さな旅をしました。それには足利学校を訪問するという目的があったのです。
足利学校では現在でも論語を教えている専門学校のような教育を続けています。
足利学校は日本へキリスト教を伝えたザビエルが、「日本にも大学がある」と称賛した大規模な学校でした。
訪問してみたらその学校は平安末期の足利氏の堀に囲まれた館の跡地にありました。
お堀にかかった橋を渡り正門から入ると足利学校の復元された校舎、施設などがあります。
早速ですが綺麗に復元してある足利学校の周囲の堀や正門や教室としていた母屋などの写真を示します。最後の写真は足利学校の校内にある立派な孔子廟です。1と2番目の写真は2009年7月に自分で撮った写真です。
3、4、5番目の写真の出典は、https://www.ashikaga-kankou.jp/spot/ashikagagakko です。









足利学校の創建年代についてはいろいろな説あります。
室町時代の前期には衰退していましたが1432年(永享4年)上杉憲実が足利の領主になって再興に尽力しました。
鎌倉円覚寺の僧快元を校長に招いたり蔵書を寄贈したりして学校を再興したのです。
その成果が上がって北は奥羽、南は琉球にいたる全国から学生が集まり、代々の校長も全国各地の出身者に引き継がれて行きました。
足利学校は間違いなく日本で最古で最大の学校でした。

ついでにこの足利学校と室町幕府の足利尊氏、そして現在の足利市民の関係を明確しておきます。
足利家代々の館跡の「ばんな寺」も散策しながら歴史ボランティアの男性から聞いたことです。
結論的に言えば、足利学校と足利尊氏と現在の足利市民の三者にはほとんど関係が無いことが分かりました。現在の足利市民は足利尊氏を尊敬したり、親しく感じてはいないそうです。
足利氏の先祖は代々は足利市に住んでいましたが足利尊氏は京都で生まれ育ち、関東へは鎌倉までしか来なかったそうです。
足利学校は一説には平安時代の小野篁の創建、鎌倉時代の足利義兼、そして室町時代の1487年、時の関東管領、上杉憲実による創建など3説があります。
いずれにしても、堀に囲まれた広い敷地に、平安時代から学校があったらしいのです。日本古来の学校を見るのは初めてなので感動しました。

この学校では論語に関する数多くの本を出版し一般人に論語の教育活動をしています。
例えば『論語体験プログラム』では孔子の教えである論語を、参加者全員が大きな声を出して読む素読(そどく)体験プログラムを行っています。
また出版物の論語抄は論語の全499章のうち63章を厳選し分かり易く説明してあります。私も買って帰り折に触れて読み返しています。
栃木県、足利市は遠方ですが車で行くと便利です。「足利氏宅跡」として国の史跡に指定されている鑁阿寺(ばんなじ)とともに訪問すると面白いと存じます。鑁阿寺は真言宗大日派の本山です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「友遠方より来たる有り、また楽しからずや」

2020年04月10日 | 日記・エッセイ・コラム
一昨日、 「コロナ解雇の悲劇と安倍総理の巧言令色少なし仁」という記事を書きました。幾つかコメントを頂きましたが、その中に安倍さんを「巧言令色少なし仁」と言ってはいけないというお叱りもありました。もっともです。
私は無意識でこの論語の言葉が出て来たのです。
考えて見ると論語は70年近く前の高校時代の漢文の時間にさんざん教わったのです。それ以来、論語の言葉が心に住みついて時々脈絡のなく出てくるのです。佛教とともに日本の精神文化の基盤になっているのです。

今日は少し論語を振り返ってみようと思います。
「論語」は2500年前の古代中国の孔子の教えを編集した20編512文の書物のことです。
以下、https://career-picks.com/business-yougo/rongo/ に従ってご紹介いたします。
この書物は孔子が弟子と問答した内容を集めて記述したもので孔子の死後に編纂されました。
後にこの孔子を聖人と崇拝する儒教という宗教が生まれました。
その教義は孔子の道徳的行動を基本とした生き方を説いたものです。神が存在せず人間至上主義の教えです。
この道徳観は神にたよることなく各自が徳に頼り、自らが努力することによって幸せになれるというものです。またそうすることで社会も改善できるというものです。
キリスト教が「人間は生まれながらにして罪深い存在である」ことを原点として、現世ではそれを消すことができないと教えているのに対し、儒教は先祖崇拝と親孝行を基本の教えとして現世での幸せを説いています。

もう少し詳しく見てみましょう。
孔子は、春秋戦国時代の末期の紀元前551年頃に、現在の中国山東省にあたる「魯の国」で生まれました。
その時代は、身分社会であったので、貧しい母子家庭だった孔子は苦労しました。
しかし、50代の頃に、自分の力で、道を切り開き、政界に入ることができました。その後、失脚してしまい、魯を離れて各地を歩きまわります。そして、60代の頃には、私塾を開きました。生徒たちの悩みに真剣に向き合う孔子の私塾には、3000人もの生徒がいたとされています。
「論語」は日本書紀の記録では応神天皇の時代(紀元後285年)に朝鮮半島の百済から日本に伝わったとされています。
応神天皇の時代とは伝説でしょうが、歴史上日本人が初めて手にした書物とされており後世の日本の文化に大きな影響を与えました。数例を上げてみます。
1、飛鳥時代⇒聖徳太子の十七条の憲法「和をもって貴しとなす」の語源
2、江戸時代⇒武士必読の書として幕府の正式学問に採用
3、明治時代⇒明治天皇の勅語「教育勅語」にも反映

そして論語の言葉は沢山日本人の心に住み着いています。
例えば「友遠方より来たる有り、また楽しからずや」 という私の好きな言葉があります。
子曰く、 「学びて時に之を習ふ。亦説(よろこ)ばしからずや。朋有り、遠方より来たる。亦楽しからずや。 人知らずして慍(うら)みず、亦君子ならずや。」の一節です。
又良く見る「温故知新」は子曰、温故而知新。可以爲師矣。からの言葉です。
意味は、先生はこう言われた「古人の書物に習熟し、現代に応用できるものを知る。そういう人こそ人々の師となる資格がある。」です。
この様に日本人の心に住み着いた言葉が沢山あります。
まさしく論語は佛教とともに日本の精神文化の基盤になっているのです。現在の日本人は論語は佛教と同じように意識していませんが人々の行動の規範になっているのです。私は日本人のカトリックなのでこの事実を客観的に鮮明に分かるのです。

今日の挿し絵代わりの写真は昨日撮った小金井公園の風景写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)





「同性婚に対する差別が無くなることを祈りつつ、、、」

2020年04月09日 | 日記・エッセイ・コラム
人間は恩人や友人、そして周囲の人々などへ感謝して暮らせば幸せになると言います。そして寛大な気持ちですべての人を愛すれば幸せになると言います。私の心がけです。しかし実行は難しいものです。
それはそれとして、私の友人で男性の同性愛者がいます。日本での差別に耐えられないでイングランドに移住し、そこで同性婚をし幸せな生活を送っていた人がいます。相手の人はコリンさんというイギリス人でした。そのイギリス人が3年前に亡くなりました。
最近、私の友人が亡くなった人の想いを書きました。Face Bookに発表した切々とした思い出の記です。

今日あらためてこの欄でご紹介いたします。ご紹介する目的は皆様に「同性婚」は普通の夫婦とまったく同じだと分かって貰いたいためです。そして日本の社会から同性愛者に対する差別が無くなるように願っています。
悲しい差別が無くなるように祈りつつ以下の文章をお送りいたします。
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石山 望著、「訊きたいことがあれば、お早めに」

私の英国人の友人はコリンさんといった。
3年半前に亡くなった。85歳。全く予期しないものだったので、困惑した。
然し、その時、自分一人で生活していかなけでばならないという厳然たる事実を、突然目の前に突きつけられたわけであるから、悲しみに打ちひしがれている暇などありはしない。
早速、新生活の「お膳立て」に取り掛かった。
まず、常々思っていた「家の改装」。私の目下の家は、20年前にコリンさんと共同購入した建売住宅。新築であったが、何しろ安普請ときている。殊に内装は、実に見るに耐えなかった。
勿論、コリンさんご存命の時、既にそういうことはできた筈であるが、その時は、私が何れ一人になった時、私の年金収入だけで生活できるかどうかが分らなかったので、自分の蓄えには手がつけられなかったという経緯がある。
然し、いざ、コリンさんが実際に亡くなった時、それが「杞憂」であったと分り、やっと自分の蓄えを使い始めた。
そんな風にして、やり始めた改装。
改装というのは、一旦やり始めると、次から次へとやりたくなるものである。
一番嫌だった台所からやり始めて、お風呂場、食堂、階段ときて、最後に庭、というところまでこぎつけた。
その庭ももうすぐ終る。
家の中がスッキリしていると、ものの考え方までスッキリするように感ずるから面白い。今は、何より、庭で食事をするのが楽しい。木々を眺め、蕾の出てきたのを喜び、噴水の水の音を聞く。小鳥たちが餌を求めてやってくる。
あ~あ、それにしろ、何よりコリンさんにこそ、今の改装なった家を見せてあげたかった。家や庭を綺麗にすること、コリンさん、殊にお好きであったから、さぞ喜ばれることであろう。
人間、何か喜びがあるとする。その時、その喜びを自分一人で楽しんでいても、何か虚しい。誰か、それを分け与える人が欲しい。一緒に享受する人が欲しい。
私の家は、そんなに立派ではないので、構わないが、もし、白亜の殿堂みたいな豪華で美しい豪邸に一人で住んでおられる人がおられるとすると、その人は幸せであろうか。
コリンさんは、PHLS(Public Health Laboratory Service) というところに勤めておられた。「公衆衛生研究所」
今、コロナ菌が、世界中で跳梁をほしいままにしているが、こういう疫病撲滅のために、この研究所は存在する。基礎医学の分野であるから、地味で目立たないが、政府の、非常に重要な機関の一つ。コリンさんにうってつけの職場だと言えるであろう。
私が、初めて出会った時、彼は67歳。もうすでに退職しておられたから、コリンさんの仕事に関してお話をすることはほとんどなかった。今ならいろんなことが訊けるのになあと、残念である。
残念なことなら、他にもある。2つ。
コリンさんは、1931年、オーストラリアのパースで生まれられ、1953年エリザベス女王の戴冠式の年にロンドンに来られた。そこまではごく普通のこと。取り立てていうことはないが、特筆すべきは、コリンさん、それから一度もオーストラリアの土を踏まれることがなかったことである。私が、「行こうか」というと、言葉を濁された。なんでも、彼の両親は、彼の幼少の頃離婚。それは彼から聞いた。しかし、両親のいずれも彼を引き取ろうとしなかったので、結局、母方の両親に引き取られたようなのである。自分の生れ育った国に、一度も帰りたいと思われたことがないとは、何か理由があったに違いない。
私、そういう立ち入ったこと、遠慮して口に出さなかったが、今にして思う。「どうしてなの?」と訊いておくべきではなかったのか。その時、「言いたくない」と言われれば、それはそれで納得がいく。しかし、そういう過去があったにしては、ずいぶん良く育っておられるなあと感心する。育ての親が、余程良い人たちであったのであろう。
そして、もう1つ。これは、完全に私が悪かった。コリンさんに一言謝っておくべきだった。「私が悪いでした。ごめん」 (あの〜、亡くなった人に謝るのは、実に簡単なんですけれど、)。
皆さん、もし、どなたかに、何か訊きたいこととか、言いたいこととか、謝りたいことがあれば、今のうちにしておかれることですよ。そうしないと、私みたいに手遅れ、いつまでも後悔することになってしまいますよ。(終り)
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今日の挿し絵代わりの写真はイングランドの風景写真です。
写真の出典は、https://www.1zoom.me/ja/wallpaper/555018/z13329.4/2560x1440 です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)







「コロナ解雇の悲劇と安倍総理の巧言令色少なし仁」

2020年04月08日 | 日記・エッセイ・コラム
昨日の非常事態宣言で倒産が増えそうです。
理髪店、美容院、居酒屋、カラオケ、バー、ナイトクラブなどは危険です。レストランも寿司店も危険な状態になります。
スポーツや各種イベントは中止か無観客になります。
その上中国から原材料や部品を入れている全ての産業が止まっています。日本の全ての自動車製造工場が生産停止しています。
倒産する企業が増えるでしょう。
企業の倒産の悲劇は体験した人の話を聞くと本当に筆舌に尽くせません。
そして倒産や工場の生産停止で解雇された人々の生活が困窮を極めています。特にパートタイム勤務で子供を育てているシングルマザーの窮状は察するに余りあります。

政府がこれら経済的な困窮者に補助金を出すと言っています。
一昨日のテレビで、倒産しそうな中小企業の経営者の話を聞きました。政府は倒産しそうな中小企業へ200万円の補助金を支給するというのです。そこで中小企業の経営者が早速役所に行って補助金下付の申請をしようとしました。
ところが31種類の詳細な書類を出せと言われたそうです。その上、31種類の書類を苦労して完成しても補助金の支給は何カ月か後だと言われたそうです。
この中小企業の経営者にとって31種類の書類は複雑過ぎて到底作れません。その上倒産は焦眉に迫っています。とても何カ月も待てません。そこでこの中小企業の経営者は補助金の申請を断念したのです。

このテレビ報道を見て私は暗い気持ちになりました。
31種類もの書類を要求するのは役人です。唾棄すべき役人根性です。
その役人の悪弊を指導して申請を簡素化するべき立場に座っているのが安倍晋三総理大臣なのです。
昨夜は1時間にわたって安倍総理の記者会見をテレビに見ました。
非常事態宣言を出した理由を説明しコロナ不況の犠牲者へはあらゆる経済的支援をすると広言していました。
兎に角言葉巧みによく喋るのです。もっともらしい事を言っては見栄を切ります。
しかし補助金の申請に必要な31種類の書類のことには言及しません。補助金は簡単にすぐ貰えるようなニュアンスで説明しています。

常日頃、安倍さんの悪口を言わない家内が「しゃべり過ぎですね」と言います。
私は心の中でこういうのが「巧言令色少なし仁」というのだなと納得しました。
「巧言令色鮮し仁」とは論語の言葉で、言葉巧みで人から好かれようと愛想を振りまく者には、誠実な人間が少なく人として最も大事な徳である仁の心が欠けているものだという意味なのです。
安倍総理は困ったお人ですね。

今日の挿し絵代わりの写真は一昨日撮って来た武蔵野公園の風景です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)





「非常事態宣言でも春の日を楽しく過ごす方法」

2020年04月07日 | 日記・エッセイ・コラム
今日から全国7カ所の都道府県に非常事態宣言が出されます。密集、密閉、密接の3密が厳禁されます。
理髪店、美容院、居酒屋、カラオケ、バー、ナイトクラブなどは危険地帯です。スポーツや各種イベントは中止か無観客になります。レストランも寿司店も開店休業の状態になります。
その上中国から原材料や部品を入れている全ての産業が止まっています。日本の全ての自動車製造工場が生産停止しています。
この窮状のため倒産する企業が増えています。日本はまさしく非常事態です。
コロナの感染を防ぎこの非常事態を克服しなければなりません。
暗い気持ちになりがちですが季節はうららかな春です。野山には相変わらず花々が咲いています。
この春の日を楽しく過ごす方法はいろいろあります。
一つの方法は何時も人の少ない公園に行ってのんびりする方法です。
私の住んでいる小金井市には3つの広大な都立公園があります。3密とは無縁の場所です。
3つの都立公園のうち小井公園は有名なので何時行っても人が多くいます。ところが武蔵野公園と野川公園は有名でないので人影が少ないのです。
そこで専ら武蔵野公園と野川公園に遊びに行きます。家内と車に乗っていくので他人と密集や密接しません。
公園には春の花が咲いています。
それにしても現役で働いている人々の苦労を思うと自分も苦しくなります。
現役で働いているとどうしても電車やバスで通勤しなければなりません。営業のため得意先を訪問して話込みます。会社では不可欠な会議もあります。
スーパーや病院や交通機関は止められません。
溶鉱炉や鋼工場は一年中夜も操業しなければいけません。3交代で操業するのです。
日本や、そして世界にはそういう産業が沢山あるのです。
これらの業種で働いている人々はどうすれば良いのでしょうか?
非常事態を克服するためには賢い解決法を考えることが必要なのです。
単に非常事態宣言を出せば良いというものではありません。

今日の挿し絵代わりの写真は昨日、武蔵野公園で撮った写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)










日本を愛したニコルさんが逝く、そしてある友人の思い出

2020年04月06日 | 日記・エッセイ・コラム
昨年の2月に日本文学を愛したドナルド・キーンさんが亡くなりました。
そして今回は日本の山林を愛して黒姫山に住んでいたC・W・ニコルさんが亡くなりました。この2人の旅立は私にいろいろなことを思い出させます。
ドナルド・キーンさんにまつわる思い出はこの欄の2019年02月25日の記事に書きました。
今日はニコルさんにまつわる思い出を書きたいと思います。

ニコルさんは日本人の真理子さんと結婚し黒姫山の森の中に住み着いて雑木林の保護活動をしながら山林の美しさについて数多くの文章を書きました。クヌギ、コナラ、シデ、エゴ、カシワなどの混じった広葉雑木林が好きな私はニコルさんの山林に関する随筆が大好きでした。
ニコルさんと真理子さんの住んでいた北信の野尻湖から見た黒姫山とその山林の写真をお送りします。





写真の出典は、 https://yamahack.com/2037 とhttp://www5d.biglobe.ne.jp/~isom/kurohime.htm です。
ニコルさんと言えばある私の友人のHootaさんのことを思い出します。
そのHootaさんはニコルさんと共に山林の保護活動をしていたのです。そして彼はニコルさんの温かさや優しさに感動していたのです。
ニコルさんの魅力的な人柄と黒姫に造成した美しい林のことをしみじみ聞いたのはHootaさんの大きな木造ヨットの中でした。
美しいチーク材で内装したキャビンの中で飲み合いながら聞きました。Hootaさんとそのヨットのことはこの欄の、2009年04月16日の記事に書きました。
こんな思い出があるのでニコルさんの旅立は友人を失った時と同じように悲しく感じます。
心からニコルさんのご冥福をお祈り申し上げます。

上記では雑木林の話だけを書きましたがニコルさんはもっと広い活動をしていましたので以下に彼に関する報道記事を転載します。
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[ニコルさん死去 作家、環境保護活動家、79歳」、2020年04月04日
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020040400353&g=soc
 英国出身の作家で環境保護活動家のC・W・ニコルさんが3日午前10時57分、直腸がんのため長野市の病院で亡くなった。79歳だった。葬儀は親族のみで行った。後日、お別れの会を開く予定。喪主は妻真理子(まりこ)さん。
 英国ウェールズ生まれ。17歳でカナダに渡り、環境や動物の保護、調査研究に従事した。62年に初来日し、80年に長野県へ移住。小説やエッセーを執筆する傍ら、環境保護活動に取り組んだ。荒れた里山を購入して「アファンの森」と名付けて再生を実践。02年には「C・W・ニコル・アファンの森財団」を設立して理事長を務め、活動を全国に広げた。
 著書に小説「風を見た少年」「勇魚」、エッセー「誇り高き日本人でいたい」などがある。95年に日本国籍を取得。05年に英国の名誉大英勲章を受けた。
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そして妻の真理子(芸名、ニコル麻莉子)さんをご紹介いたします。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ニコル麻莉子 よりです。
ニコル 麻莉子(1950年11月17日- )は、日本画家、音楽家。夫は小説家・ナチュラリストのC・W・ニコル。1980年に入籍して、長野県黒姫に住居を構えて、ひとり娘を儲けた。
兵庫県出身。シマノ工業社長・島野隆夫の次女・本名・真理子。桐朋学園大学を卒業後、カナダのブリティッシュコロンビア大学大学院留学。1989年から作曲家デビューを果たし、テレビのドラマ、ドキュメンタリーなどの数多くのテーマソング・挿入歌を作曲。その傍ら、1991年より関川都の下で水墨画を習い、ISAMの会員として、数多くの美術展入賞。個展も開催している。

今日はニコルさんにまつわる思い出を書き、心からニコルさんのご冥福をお祈り申し上げます。
そして妻の真理子さんの悲しみに心を寄せ、再び元気になるようにお祈りいたします。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「今日の日記、カトリック小金井教会へお祈りに行きました」

2020年04月05日 | 日記
今日は曇りで寒い日です。冬に戻ったような日です。
午後にカトリック小金井教会へお祈りに行きました。
今日はイエス様を棕櫚の枝で歓迎する「棕櫚のミサ」のある日曜日ですが、コロナウイルスのせいでミサがありません。
何時もなら信者が外で棕櫚の葉を手に持って聖歌を歌いながら行列を作って会堂に入りミサが始まります。
今日はガランとした聖堂の祭壇に大きな棕櫚の枝が飾ってありました。
数人の信者が離れ離れに坐って静かにお祈りをしていました。
今日のカトリック小金井教会の風景写真をお送りします。なお最後の写真は教会へ行く途中に咲いていたウコンザクラです。







午前中は電動車椅子に乗って1Km位西にある東京学芸大学の構内に行き今年最後の桜見物を家内としました。

「復活祭とは?、そして欧米人の心の中」

2020年04月05日 | 日記・エッセイ・コラム
今年の復活祭は来週の日曜日の4月12日です。その前の40日間は節制する四旬節です。南米のカーニバルは灰の水曜日の前日に止め、静かな四旬節が始まります。
今年はコロナウイルスの感染拡大を防ぐたまに灰の水曜日も四旬節のミサもありません。
毎年早春にある四旬節と桜の咲くころの復活祭のミサがありません。こんなことは1970年にカトリックの洗礼を受けて以来初めての事です。空虚感が私の心に広がっています。

そこで今日は「復活祭とは?、そして欧米人の心の中」と題する記事を書くことにしました。
さてキリスト教の復活祭はキリストが金曜日に十字架にかけられ処刑され、3日後の日曜日にに生き返ったことをお祝いするお祭りです。
キリストが生まれた日はクリスマスとして日本でもお祝いの食卓を囲む人が多く、日本の重要な歳時記として定着しています。クリスマスの期日はヨーロッパの原始宗教の冬至祭を踏襲しました。
その一方で復活祭は日本ではあまり有名ではなくクリスチャン関係者だけが祝っています。
復活祭の期日は春の到来を祝う原始宗教のお祭りを踏襲していますので、日本でももっと有名になっても良いと思います。
しかし、「一旦、死んだ人が生き返る」という不自然さ、不合理さがあるので日本では受け入れらなかったのでしょう。

しかしキリスト教徒にとっては復活祭は一番重要な祭日です。クリスマスよりも非常に重要な祭日です。
その理由はキリスト教信仰の中心をなすのが、キリストが生き返り、その後、天に登って神の右の座に着いたという事実を信じることなのです。そして最後の審判の時が来ると、キリストは再び帰って来ます。そして全ての死者の肉体も蘇り、復活するのです。
復活祭とはイエス自身の生き返りを祝い、全ての死者の生き返りを祈る重要な祭日なのです。
上に書いたことはあまりにも荒唐無稽なことですね。少なくとも大部分の日本人には受け入れられない空想に過ぎません。私も本物の日本人ですから復活祭が日本へ受け入れらなかった事情は痛いほど良く分かります。なにせ仏教にはそんな空想論は皆無なのです。

キリストの弟子たちにもイエス自身の生き返りを信じられない者もいました。弟子達は本当に生き返ったキリストなのかと疑って眺めます。特にトマスはキリストの脇腹の傷跡に指を入れてみて初めて、「これは本物の生き返ったキリストだ!」と納得します。
この様なイエスの復活を欧米人はどのように考えているのでしょうか?
本当にキリストの復活や全ての死者の肉体の生き返りを信じているのでしょうか?
これは欧米人の心の中にある迷いなのです。ある時は信じ、ある時は疑います。私はカトリックなのである時は確かに信じています。
100%そのまま信じている欧米人もいます。60%信じている人もいます。20%信じている欧米人もいます。しかしここで重要なことは欧米人なら皆が以上に書いた復活の話を知っているのです。
それは欧米人の心の中にある原風景なのです。

例えば南米の有名な革命家のチェ・ゲバラでさえ、聖書の一句の「愛が無ければ、」を使って「愛が無ければ、革命家になれない」というセリフを言っていたのです。
昔のソ連のスターリンも知っていたのです。なにせ彼は若いころ神学生だったのです。そして聖書よりも共産主義が人々を救うと信じて転向したのです。
ですから共産主義とキリスト教は対立する考え方なのです。
このように欧米の文化や政治や社会現象の下敷きに、キリスト教があるのです。無意識のうちに欧米人はその影響を受けているのです。
それは我々日本人が仏教の影響を無意識のうちに受けているのと同様です。カトリックの私も日本人なので仏教の影響を深く受けています。そして仏教が好きです。

今日は復活祭の一週間前です。イエス様を棕櫚の枝で歓迎する「棕櫚のミサ」のある日曜日ですが今年はそのミサもありません。自宅でお祈りをしています。

今日の挿し絵代わりの写真はカトリック小金井教会の昨年の4月21日の復活祭のミサの風景です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)








「今日の日記、武蔵野の新緑の雑木林の写真を撮りに行く」

2020年04月04日 | 日記・エッセイ・コラム
春うららかな日和です。近所の樹々が芽を出しパステルカラーになっています。例年より一週間早い新緑です。
午後から埼玉県の武蔵野の芽吹きした雑木林の写真を撮りに行きました。桜もまだ咲いています。畑の土も蘇ってきました。
それにしても萌え始めた梢は美しいものです。雑木林の好きな私は四季折々武蔵野の林に通っています。
今日の新緑の雑木林の風景をお楽しみ頂けたら嬉しく存じます。