575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

打ち掛けの碁盤の寒さ近寄らず    朱露

2010年12月10日 | Weblog

      新聞碁の決着がついた「総譜」を並べる。
      何故そこへ打つのか分る振りをしている。
      張天元と山下棋聖の一戦で半月は楽しむ。
      総譜の束をあの世へ持って行くつもりだ。

                  



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海鼠腸はコノワタと言う真鶴よ

2010年12月09日 | Weblog

    海鼠(なまこ)の腸の塩辛で冬の季語。
    子供の頃は気味が悪くて顔をそむけた。
    酒を飲む頃真鶴に居ないので行き違い。
    果たして海鼠腸で一杯やれるかどうか。

                



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

詩の芽   麗

2010年12月09日 | Weblog
郁子さんに勧められて松坂屋で行われた金子みすず展に行って来ました。
63人の著名人の選んだみすずの作品とそれに寄せるメッセージも見応えがありました。
途中、心の琴線にふれる童謡に出会い目頭が熱くなり一人娘さんのビデオメッセージでは思わず涙。
これまで「みんなちがってみんないい」のフレーズしか知らなかったのですが
あまりの繊細な視点と発想の立ち位置の斬新さ。
このところ、ちょっとぱさついていた私の心にやさしいことばの数々は
浸透していきました。

なかでも気に入った作品は「不思議」


私は不思議でたまらない、
黒い雲からふる雨が
銀にひかっていることが。

私は不思議でたまらない、
青い桑の葉たべている
蚕が白くなることが。

私は不思議でたまらない、
たれもいじらぬ夕顔が、
ひとりでぱらりと開くのが。

私は不思議でたまらない、
誰にきいても笑ってて、
あたりまえだ、ということが。(金子みすず童謡集「わたしと小鳥とすずと」より)


あたりまえのことってないのですね。今こうしてブログを書いていることも思えば不思議。
森鴎外は童謡を「詩の芽」といったそうです。
金子みすずの詩の芽は没後80年たってそれぞれの人の心に花を咲かせているようです。
こんな視点で俳句も作れるといですね。「セーター」がんばろ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

セーター句会近づく    遅足

2010年12月08日 | Weblog
12月の句会の兼題は「セーター」です。
現代俳句鑑賞事典をめくっていたら、こんな句に出会いました。

  妻知らぬセーターを着て町歩く  本井英

作者は昭和20年生まれ。「夏潮」の主宰です。
妻帰天、という前書きのある句もありました。

  息の音のさよならさよなら夜は短か

死を目前にした妻の寝息が「さよならさよなら」と
別れを告げているように聞こえてくるという句。
そして、廻ってきた冬。
生前は、奥さんに着るものを任せていたのでしょうか。
今年は、妻の知らないセーターを着て町へ出かける。

こんなセーターの切ない句もあるんですね。

さて句会には、どんなセーターが詠まれるのでしょうか?

    
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

板の間でべい独楽廻す師走かな    朱露

2010年12月08日 | Weblog

        三男の三年生の娘が来ればべい独楽勝負。
        戦後すぐの遊びだから六十数年の年期だ。
        国民学校一年で戦争になり五年で終わる。
        十年上の兄は生きて帰ったが黙っていた。

                   

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

猟期です   鳥野

2010年12月07日 | Weblog
何気なく付けたテレビで「俳句王国」というのをやっていました。

すでに後半で、兼題の部は終り、自由題の作品が発表されていきます。

ご覧になっていた方も多いと思いますが、その中の一句

 ・ 深々と伏して猟犬となりにけり

思わず拍手しました。

素人の当方のこと、独り合点と思っていたのに、何と満票。
嬉しくなりました。

猟犬が冬の季語というのも、歳時記を開いて知りました。

 ・ 猟犬は眠り主は酒を酌む 高野素十
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

みんな俳句が好きだった⑤  竹久夢二の俳句       ぐ

2010年12月06日 | Weblog
 紹介している内藤さんの本を読むまで、竹久夢二が荒畑寒村らと同居していて平民新聞の挿絵描いていたとは知らなかった。
 どんな挿絵を描いていたかも知りたがったが夢二の句は夢二らしいものであった。

  ほつれ毛に遊ぶ風あり青すだれ
  襟足の黒子あやふし朧月
  朝顔やおよそ女はいとはしき
  あきらめて灯をけす頃や春の雨
  夕さくら恋はほのかにありぬべし
  肌寒やよべの簪のありどころ
 
 一方次のような本格的な句も

  夕きりや水底の石相触る
  木から木へわたる蛇あり青嵐
  味噌をする音に秋立つ宇治の寺
  石けりのちょうくのあとや鳥渡る
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日常の一瞬を永遠に    遅足

2010年12月06日 | Weblog
少し前のことですが、日曜美術館が上村松園を取上げていました。

障子を開けて夕暮れの光の中で、糸を針に通す女性の姿を描いた絵。

母のおかげで日本画一筋に修業を重ねたテクニックもありますが、
興味深かったのは、孫の淳之さんが、語った言葉。

「日常は絵にならない。しかし、この絵は母への思慕があって、
そのココロが、日常の風景を絵に昇華させている」と。
松園が母を亡くしてから描いた絵だそうです。

そう言われれば展覧会で、こうした日常のしぐさが
題材になることは、ほとんどありません。

            

一瞬を永遠にする。

歌人の岡井隆さんが、日経新聞の「私の履歴書」のタイトルに使っていた言葉です。
上村松園が目指したものと同じものでしょうね。

俳句などでも挽歌というか、母や父の死を詠ったものに
良い句があるのは、そうした思いが伝わってくるからでしょうか。

日常の一瞬を永遠に・・・わずか17文字に。
そんな句は一つでも作れたらイイな・・・





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雪女溶けて光の蜜となり 真鍋呉夫

2010年12月05日 | Weblog
雪女という季語があります。
私や朱露さんは、好きな季語ですが、
女性には、ほとんど人気がありません。

真鍋呉夫さんには雪女の句が多く、
雪女という季語について、こう言っています。

科学の時代、もう、雪女の実在を信じる人はいないだろう。
しかし、この季語を生み出したのは、
生命の母胎としての自然への畏敬の念である。

この季語には、かぎりある命を永遠な時空に解き放つ力があり、
私達が失った自然への畏敬の念を取り戻す力がある、と。

       

真鍋さんには、こんな句があります。

  花冷のちがふ乳房に逢ひにゆく

  花よりもくれなゐうすき乳暈(ちがさ)かな

  白桃を剥くや膜なす光の蜜

  雪 桜 蛍 白桃 汝が乳房

雪・花・蛍・白桃=乳房という方程式です。

                 (遅足)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

血圧の上がる音聴く冬が来た   朱露

2010年12月05日 | Weblog

     血圧計に何の責任もありはしないが、
     計っている最中うめき声を出すのだ。
     これでは下がるのが上がってしまう。
     こんな血圧計を設計した人間は誰だ。

                
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

十二月愛憎半ば血圧計    朱露

2010年12月04日 | Weblog

    血圧計に何の責任もありはしない。
    しかし加圧中うなり声を出すのだ。
    これでは下がる血圧も上がる筈だ。
    この血圧計を設計した人間は誰だ!

              

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アオツヅラフジ          草女

2010年12月03日 | Weblog

7年前の秋から、海上の森を歩き始めた。その年はどんぐりの豊作の年であったらしく、雨が降るごとくどんぐりが降ってくるのに驚いた。何もかも、見るもの、聞くも
のに心を奪われた。だからこそ7年間森に通っても飽きないのだろう。

 その年、私を虜にしたものの一つがアオツヅラフジの実だ。藍色なんだけど、白い
粉をふいていて実に美しい。葡萄まではいかないが、房状に実はつく。美しいバラに
刺があるごとくアオツヅラフジには毒がある。果実だけでなく全草有毒であるが、
蔓や根は生薬にもなる。

 アオツヅラフジの別名をカミエビという。果実につく白い粉をカビにみたてての名
前である。ではエビは? 直径5ミリほどの果実のなかにいる。種子は小さな小さな
オオムガイの形をしている。昔の人はオオムガイなんて知らないから、エビとみたてたの
だ。 ツヅラフジ科アオツヅラフジ属の落葉つる性木本で普通に見られる。つるはかなり
丈夫であり、手でちぎるのは難しいが、なんとも細いので利用されたか分からない。
 科名になっているツヅラフジはもっと山地に自生するそうでまだ見ていない。こち
らはオオツヅラフジとも呼ばれ、つるが5~10mになり蔓細工に利用されるそう
だ。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボールペン秋思の先にありにけり   遅足

2010年12月03日 | Weblog
船団・小西ドクターの診断です。
 オシャレでペーソスのある句です。
「愁思の先にボールペン」として
上5を工夫されたらいかがでしょう。
これも工夫次第で名句です。

ありがとうございます。
この上五は、やさしそうで難しいですね。

  ボールペン愁思のかすれありにけり

とりあえず

  細書きの愁思に先にボールペン



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新語・流行語大賞   麗

2010年12月02日 | Weblog
師走の風物詩「新語・流行語大賞」が昨日発表されました。
毎年、「何でこれが??」というのがありますが今年は一応全部わかりました。

ただ「ゲゲゲの~」が年間大賞でなぜ「ゲゲゲの女房」でないのかちょっとわかりませんって?「それはいい質問ですねぇ」。
今年も「女子会」・「AKB48」など女性が元気。男性は去年の「草食系男子」に
続いて「イクメン」。これまたちょっと内向きな感じですね。
内向きといえば「食べるラー油」。
「無縁社会」では自分の居場所をネットに知らせる「~なう」は必要語。
政権は「脱小沢」を目指したものの今ひとつすっきりしない年越し。なんだかんだありましたが、まあなんとか今年も「ととのいました」。

何かを「持ってる」早稲田の斉藤佑樹投手。来年は日ハムでどんな言葉を話してくれるのか楽しみです。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生きにくい世の中     遅足

2010年12月01日 | Weblog
たすけて枝毛姉さんたすけて西川毛布のタグたすけて夜中のなで回す顔 飯田有子

生きにくい現代。
そんな世の中で必死にコミュニケーションを求める。

穂村弘さんは、「短歌の友人」のなかで、
最近の短歌には、こうした歌が多いと書いています。

  ティーが通じない私はただティーが飲みたいのですティーがワンティーが  平山洵子

何回もティー、ティーと繰り返す。切羽詰った息遣いが伝わってきます。
575777のリズムは、どこにも感じられません。

               

今朝の中部の文芸欄。俳句です。加藤かな文さんが紹介している句。

  雪の声する紬に袖を通しけり   鈴木世記

すばらしい句です。
しかし世界は予定調和のように安定しています。

俳句は、現代のような、生きにくい世界を詠んでいるんでしょうか?
伝統的な世界に安住しているようにも感じられます。
575という定型が、そういう心情を容れるためには、
短いすぎるのかも・・・

  咳をしてもひとり  尾崎放哉

自由律の口語俳句は、いま、どうなっているんでしょうね?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする