人外花境

暇人の何でも自然観察日記

主に野歩き山歩き.たまに旅歩きの写真ブログ

座間味島へ行く

2008年06月24日 | 島旅:座間味島

5月27日(火)

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 座間味島はケラマ諸島の一つで、那覇泊港から高速船で1時間、フェリーで2時間の距離に有る。

 ケラマ諸島は、有人5島と無人島多数(としか言いようがない)から構成され、その内の阿嘉島には国の天然記 念物である「ケラマジカ」が居る。

 此処へ来たのは、沖縄県下で最も美しい海を見ることが出来るからと聞いたから。

 噂に違わず美しかったので、不本意ながら観光パンフレットに載せる様な写真をバチバチ撮ってしまった。

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 船は那覇泊港から出る、此処からは粟国島や久米島行きの船も出る。那覇には、那覇港・泊港・那覇新港の三 つの港が有り、それぞれ行き先の異なる船が出るのでややこしい。

 泊大橋をくぐれば、水平線上にケラマ諸島が見えてくる。

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 船は阿嘉島へ寄港してから座間味島へ向かう。阿嘉大橋の向こうに見えているのが「サクバルの奇岩」と呼ば れる岩列である。海の色が良い感じになってきた。

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 ここでも結構な人数が下船したが、殆どはダイビング目的、私の様な陸上歩きは皆無に等しい。

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 ケラマ諸島は多島海であるため、この様な島があちこちに有る。

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 座間味港内に有ったクジラのハリボテ、ここは1月から3月にかけてホエールウオッチングで有名な所。

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 さて、いよいよ座間味島へ上陸です。ちなみにこの船は、隣の渡嘉敷島へは寄らずに泊港へ帰ってしまいま す。ここは座間味村、隣は渡嘉敷村、行政区画が違うからとか。こんな小さな島どうし、何とかならんのか。


6月下旬 大千軒岳の花

2008年06月24日 | 野の花山の花

奥二股登山口から千軒銀座間の花

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ユキノシタ科 ヤグルマソウ

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サクラソウ科 オオサクラソウ

千軒銀座から千軒平間の花

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ツツジ科 ガクウラジロヨウラク

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スミレ科 フギレオオバキスミレ

千軒平のお花畑

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シラネアオイ科 シラネアオイ

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フウロソウ科 チシマフウロ

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キンポウゲ科 エゾカラマツ

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キンポウゲ科 エゾノハクサンイチゲ


沖縄本島へ向かいます

2008年06月23日 | 島旅:悪石島・奄美大島

5月26日(月)

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奄美大島名瀬港を、午前5時50分に出港するマルエーフェリーの「あかつき」6.500トン。

徳之島~沖永良部島~与論島~沖縄本部港を経由して那覇港まで352kmの航海です。

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奄美大島の背後から朝日が昇ってきました。

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午前9時10分 徳之島亀徳港着

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午前11時40分 沖永良部島和泊港着

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午後2時00分 与論島与論港着

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伊江島が見えてきました、午後7時10分那覇港着。

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入港直前に有村産業から携帯に連絡有り。「燃料代高騰につき、飛龍の運航中止」との事。

那覇港に「飛龍」と僚船の「飛龍21」が停泊したまま、これで宮古島まで行く予定だったのに。

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奄美大島笠利崎の近くで見掛けた花、見たこと有るような無いような、なんだったっけ?


大千軒岳知内川コース

2008年06月23日 | 野歩き山歩き

 大千軒岳へは、松前新道コースを石崎側から何度か登ったのですが、知内川コースは19年ぶりでした。

 歳を取ると、つい楽なコースへ足が向いてしまいます。

 奥二股登山口から千軒銀座までは、美しい自然林の景観を楽しみながらのルンルン気分でしたが、千軒平ま での急登はさすがにキツイものが有りました。千軒平から上は、濃霧と強風のためお花畑をチラッと見て引き返して しまいました。

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 毎年7月下旬に追悼ミサが行われる金山番所跡です。

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 1972年当時の金山番所跡、周りの樹木が小さくて対岸の斜面が見えていました。

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 広河原がずいぶん小さく成った様な気がします。

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 1972年当時の広河原、大きな石が少なく一面の砂地でした。特に整地しなくても楽にテントを張れたものです。

 奥に二張りテントが見えますが、昔は高校や大学の山岳部がよくキャンプしていたものです。

 約二名ほどむさ苦しいのが写っていますが、当時この辺りに出没していた唯の河原コジキですから、気にせず 無視して下さい。昔はこの辺りにも、コジキとか仙人とか入道なんてのが沢山居ました。当日は関東方面から来てい た、元気印のオーラを振りまきながらのスーパーオバサン四人組と出会いました。

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 カバの木坂から見た切戸の沢です。残雪が少し残っていました。

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 1972年当時の千軒岳頂上です。今も昔もこの風景は変わらないでしょう。

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 登山口と狭戸の間で サルメンエビネ(猿面海老根) を見つけてしまいました。


奄美大島北端の笠利崎へ

2008年06月19日 | 島旅:悪石島・奄美大島

5月25日(月)

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 昨日のネコチャンのUP、なかなかの器量よしですが、お手手が汚れているし耳あかも付いている、やはり野良 ですかね。花とネコは見つけ次第写真に撮る事にしているのですが、以外とネコには会えません。

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 今日は朝から雨、絶景(のはず)のあやまる岬も台無しです。でもやはり観光客が何人か来ては、そそくさと帰 ってゆきました。

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 奄美大島最北端の笠利崎です。ここにも浦島伝説みたいなものが有るようです。皆既日食見物がトカラ列島で はダメな場合は、ここにしようかと来てみたが特に広場も無く、当日は人と車でゴッタガエス(北海道弁?)事に成り そうですね。

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 又一つ、端っこを制覇したぞと威張って居るバカ人間です。

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 奄美大島は、沖縄本島北部同様山また山の島です。中生代の付加体から構成されています。

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 雨の中に咲く つばき科 イジュ の花です。


名瀬市おがみ山公園

2008年06月18日 | 島旅:悪石島・奄美大島

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 日はまだ高いので、ホテルへ荷物を置き市街地の裏山にある「おがみ山公園」へ出かけます。

 ここには標高100m程の展望台が有るのです。

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 遊歩道を登って行くと、さっそく巨大なヒカゲヘゴが現れました。

 いいですねぇ~、南の島の雰囲気になってきました。

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 石垣には、コモチマンネングサとキンチョウです。植生がますます沖縄っぽくなってきた。

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 名瀬の市街地と名瀬港です。周囲が山に囲まれているので、狭いところにビルがぎっしり建っている。

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 展望台に居たネコ、北国でも南国でもネコの顔に変わりはありません。当たり前か。

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 名前は解りませんが、ド派手な木の花。トロピカルムードが漂ってきます。


悪石島を去る

2008年06月17日 | 島旅:悪石島・奄美大島

5月24日(土)

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 今日は奄美大島名瀬港行きのフェリーとしまの入港日、島を去らねばなりません。

 本格的梅雨入りで朝方は雨、気温24°C 湿度84% 。

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 悪石島を後に、小宝島・宝島を経由して奄美大島の名瀬港へ向かいます。

 梅雨の間は、ズーッと島の上半分が雲の中だそうです。

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 小宝島は本当に小さな島です。面積 1.0k㎡ 標高 103m 人口 57人。

 小さな火山島の周囲に出来た裾礁が隆起して、なんとか人の住める島に成ったのです。

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 隆起珊瑚礁に青い海、これまでの島々の海岸風景と一変します。

 小宝島以南が珊瑚礁の発達する亜熱帯特有の景観を呈する様になり、南の島へ来たなと実感します。

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 トカラ列島最南端の宝島、面積 7.14k㎡ 標高 292m  人口 120人。

 変化に富んだ地形で美しい島影です。温泉有り、鍾乳洞有り、湿原有り、砂浜有りで一度来てみたい。

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 宝島名物の港の大壁画です。

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 奄美大島までは、海上なのか陸上なのか解らないくらいのベタ凪でした。

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 10:00に悪石島を出港し、15:30名瀬港着。

 小さな島ばかり見てきたので「都会 !」という気がします。


悪石島その他あれこれ2

2008年06月16日 | 島旅:悪石島・奄美大島

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 悪石島と言えば、何と言っても仮面の来訪神「ボゼ」、盆踊りの最終日(8月30日前後?)に突如出現し村人を 突き回す例のやつである。墓地の脇に置いてあったボゼの残骸、本来は祭りが終わったら粉々にして処分するそうで あるが、今は観光客のために残してあるとか。

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 上集落の中に有る墓地、実に綺麗に手入れされている。悪石島は今でも神々の島である事の査証ですな。

 先端を赤く塗った竹の花立てが独特です。

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 集落の民家は、屋敷林に囲まれてポツポツと点在する。尚、集落の人の氏名は殆どが「有川」さんでした。

 上集落には雑貨店「有川酒店」が一軒有るが、ご主人は発電所に勤めているため、普段は開いていない。

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 5月23日(金)は梅雨入りのため朝から雨、かっぱ着てかさ持って雨の中東海岸へ向かう。

 島の主要産業は牧畜、牧場内の琉球竹は食べられてボーズに成ってしまっている。

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 トカラ列島何処へ行っても有る平家の落人伝説。今でさえ日本最後の秘境と言われているのに、此処まで追っ てきた源氏の執念はすさまじい。平家に対する恨み骨髄に徹すかな。

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 断崖絶壁の東海岸、諏訪之瀬島がぼんやり見えた。珊瑚礁の発達は小宝島以南とされているが、この沖合に も有るという話、満潮時のためか見えなかった。


悪石島その他あれこれ

2008年06月15日 | 島旅:悪石島・奄美大島

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 山から下りたら一汗流すため湯泊温泉へ向かいます。

 温泉の近くには自然遊歩道が有り、ビロウの群生地と成っている。バカ人間は単純だから、こういう風景に出会 うとつい嬉しくなってしまうのです。

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 遊歩道の一角には池(実際は水溜まり程度)が有り、南石亀の棲息地となっているらしい。らしい、と言ったの は、私が見た時点では居なかったから。ヤギが数頭草を食べていただけ。

 宿のご主人の話では、昔々ここは入り江であり船着き場となっていたが、土砂崩れで入り口が塞がりこの様な 窪地に成ってしまったとか。さらに現在でも、船が二艘この池の底に沈んでいるとか。

 この話を聞いて思い出したのが、海賊キッドの財宝伝説である。トカラ列島の最南端の宝島は、海賊キッドの宝 の隠し場所として有名であるが、本当は悪石島に宝を隠し、人が寄りつかない様にオドロオドロしい「悪石島」と名 を付け、宝島はいかにも此処に財宝が有るぞと思わせるため名付けたとする説である。

 宿のご主人は「船は絶対に有る!」とりきんでいたが、本当はこの話をしたかったのだと思う。その時すでにご 主人も私も酔っぱらっていたが、嘘でも本当でもロマンが有れば良いのだ。

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 船と言えば、昭和19年8月22日に悪石島沖でアメリカの潜水艦に撃沈された「対馬丸」の慰霊碑が有る。沖縄 からの学童疎開他1,700余名が乗っていたそうです。今でも綺麗に手入れ管理されていました。

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 コミュニティーセンターの近くに、秋吉 茂の「美女とネズミと神々の島」の文学碑が有る。原文読んだことない が、昭和30年代の島の現状を綴ったものとか。

 そう言えば、宿のオカミサン若い頃はさぞや美人だったろうなぁ~と思わせる品の良い人(ゴメン 今でも若い よ)。ダンナはノンベイだが、私達のために船を出しサワラと名の知れない貝(これが美味かった)と筍を採ってきて くれた。


御岳へ登る

2008年06月14日 | 島旅:悪石島・奄美大島

5月22日(木)

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 今日は御岳(584.0m)へ、コンクリート舗装された一車線道路が有るので車でも頂上まで登れる。

 あっちウロウロ、こっちウロウロしながら、ゆっくりゆっくり登って2時間15分で頂上着。

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 悪石島は全島全山琉球竹の林に覆われている。

 海蝕崖以外に崩壊地が目立たないのは、竹林によって斜面が保護されているため、まさに琉球竹は島の守り 神である。島の特産品の一つがこの筍でもある。であるが、淡泊な味で特に美味でもなし。

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 パラボラアンテナの後ろが本当の頂上だが道は無い。頂上周辺はNTTの施設に占拠され眺望が良くない。

 画面右下に噴火口の凹地形が有るのだが、見えなかった。

 頂上ではauが三本立ったが、屋久島か奄美大島まで届いたのか。

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 溶岩流が尾根地形として残り、荷積岬(右側の黒い所)まで延びている。右下がやすらはま港、左上の尾根の 陰が上集落。集落の建物は防風林に囲まれているため、ほとんど見えない。遠くに丸いのはヘリポート。

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 頂上の草むらにニワゼキショウが咲いていた。

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 登山道の道端で見掛けた正体不明の花。

 オシベとメシベだけで、花弁が無い様に見えるのだが。