今日は朝からよく晴れて、窓の外を繋がりトンボが飛び回っています。
暑さを避け山へ避難していたトンボ達が里へ下りてきました、秋の使者です。
今日の各駅停車の旅は、木古内を出て一気に終点江差まで出発進行です。
渡島鶴岡駅
資料無し
吉堀駅
開 駅:昭和10年12月10日
起 源:駅付近の木古内川に昔は鮭が上ってきて、川底にほり(産卵床)を掘ったので、
良いほり場と言う意味でこの地を「よしぼり」と呼ぶようになった。
神明駅
開 駅:昭和32年1月25日
起 源:駅のすぐ前を流れる「神明の沢」によったものである。
湯ノ岱駅
開 駅:昭和10年12月10日
起 源:駅付近の丘陵から鉱泉が湧き出るので「湯ノ岱」としたものである。
宮越駅
資料無し。
桂岡駅
開 駅:昭和11年11月10日
起 源:駅の西北約400mの地点に樹齢500年と思われる桂の大木が有った。
その昔一帯が大洪水に見舞われた時、この木を境として難を逃れたことから、
住民はこの木を神木として崇め、駅名はこの木に因んで生まれた。
中須田駅
開 駅:昭和30年3月5日
起 源:駅の所在が中須田に有るのでその名をとった。
上ノ国駅
開 駅:昭和11年11月10日
起 源:足利末期松前地方に勢力をふるった蠣崎氏の居城のあったところで、
当時茂辺地に下ノ国氏が居城をかまえていたのに対して「上ノ国」とした。
江差駅
開 駅:昭和11年11月10日
起 源:アイヌ語「エサシ(出崎)」の意味である。
昔エサシの中心は、津花崎(今の姥神町付近)であった。
以上、江差線各駅停車の旅はお終いです。廃線に成る前に一度乗ってみたいな。
今日は茂辺地駅から木古内駅までまいります。
なにしろ各駅停車なもので、さっぱり前へ進みません。
その後行ったことないんですが、今でもこれらの駅舎が残っている所あるのかな、
それにしても昔の駅前広場って舗装されていなかったんですね。
茂辺地駅
開 駅:昭和5年10月25日
起 源:茂辺地川のアイヌ語「モ・ペッ(静かな川)」をとったものをいう。
享徳年間(西暦1452年~1454年)に下国氏の築いた茂別館があったので、
この土地を茂別というようになり、後に「茂辺地」と改めたともいう。
渡島当別駅
開 駅:昭和5年10月25日
起 源:当別はアイヌ語「ト・ベッ(沼川)」から採ったもので、昔は当別川の上流に
沼があったためそう呼ばれた。
駅名は他に類似のものが多いため、国名「渡島」を付けた。
釜谷駅
開 駅:昭和5年10月25日
起 源:アイヌ語「オ・カマヤ・ウン・ベッ(河口に平たい岩のある川)」から。
泉沢駅
開 駅:昭和5年10月25日
起 源:昔からきれいな泉が流れ出ていた沢があったから。
札刈駅
開 駅:昭和5年10月25日
起 源:アイヌ語「シラッ・ト°カリ(岩礁のこなた)」から転訛したもの。
木古内駅
開 駅:昭和5年10月25日
起 源:付近にある川を「リロナイ」といい、これから転訛したものと思われる。
語源は「リリ・オ・ナイ(潮の差し入る川)」の意で、満潮時には潮が逆流するため。
こう天気が悪くては、野山で一日一写がモットーのカメラ爺は手も足も出ません。
野山へ足が出ないのなら、パソコンのHDの中へ手を突っ込んでネタ探しです。
以前「廃止ローカル線の旅」と称して松前線と瀬棚線の 1985年(昭和60年)当時の
駅舎の写真を投稿しました。
実はこの時、函館駅から長万部・江差間の全ての駅舎の写真も撮ってあったのです。
まだ営業中の路線なので載せなかったのですが、新幹線が北海道まで乗り入れると、
江差線は廃止になるかも知れません。
いやその前に、この年寄りにお迎えが来る可能性の方が大きいので投稿してしまいます。
四半世紀前の田舎の駅前風景写真としてでも眺めて下さい。
今日は函館駅を出発して上磯までまいります。
函館駅
開 駅:明治35年12月10日(北海道鉄道)
起 源:この地は昔「臼岸(うすけし)」といった。アイヌ語の「ウス・ケシ」が転訛したもので
「湾の下手」の意味である。
宝徳年間(西暦1449年~1451年)河野加賀守政通がこの地に城を築き、その形が
箱のようであったから、世人がこれを箱館と呼んだのが地名の起源となり、明治2年
9月開拓使出張所設置の際に「函館」と改められた。
明治37年7月1日、本州との連絡のため、海岸寄りに線路を延長し駅舎を新設して
函館駅とした。旧駅は同日「亀田」と改称し、明治44年8月29日限りで廃止した。
七重浜駅
開 駅:大正15年6月21日
起 源:アイヌ語「ヌ・アン・ナイ(豊漁ある川)」から出たもので、「七飯」との区別上、海浜に
あるため「浜」の字を付けたものである。
久根別駅
開 駅:大正2年9月15日
起 源:アイヌ語「クンネ・ペッ(黒い川)」の転訛したもので、現在の久根別川である。
清川口駅
開 駅:昭和31年10月1日
起 源:駅の北方約4Kmにかっての松前城の砦、清川陣屋跡と清川がある。
この清川へ行く一番近い入り口に駅が有るので名付けられた。
上磯駅
開 駅:大正2年9月15日
起 源:アイヌ語「カマ・イソ(波かぶり岩)」からと言われ、また北海道では西を上
東を下というので、函館の西にある磯の意であるともいわれている。
昨日は札幌でも気温が32°まで上がり、年よりはダメージを受け一日中ゴロゴロ寝ていた。
今日は今日で朝から土砂降りの雨、やはり一日中家でゴロゴロ、したがって話題がない。
旅に出る時のカメラは、NIKON D90 とRICOH GX200 を持って行く。
今日のブログは、GX200 の旅先写真で穴埋めです。
波照間島最南端の地で、雲間から光が差し海面にスポットライトがあたった。
以前載せた写真はD90、これはGX200 で撮った波照間島の日の出です。
夕陽の当たる波照間島の古民家。
以上の三枚は、光量がタップリ有ればGX200でも絵になる例・・・・多少レタッチしてあるが。
屋久島白谷雲水峡で薄暗いキリの中のくぐり杉、高感度特性が悪いGX200、やはり絵にならない。
屋久島で星空を撮ってみた、やはりノイズが多くて絵になりません。
でもこの程度ならGX200 でも撮れる、ノイズ除去したら星も消えてしまった。
薄明での夜景を撮ってみたが、ノイズが邪魔して絵にならない。
外灯の回折像の様子からレンズ性能の優秀さがわかる。
高感度特性を改良してくれたら、もう一台買いますぞ、RICOHさん。