半世紀以上にわたり、ピアニスト、作編曲家、プロデューサーとして活躍しているハービー・ハンコック(1940年~)の自伝が日本語訳され、昨年出版されたので読んでみました。本文(ハンコックとともにリサ・ディッキーも著者の一人となっています。)とともに川嶋文丸さんによる訳がわかりやすく、ページ数は多いものの、読みやすい本です。
冒頭部分にマイルス・デイヴィスとのエピソードが登場しますが、ジャズの創造現場の話で印象深いものです。引用すると、1960年代半ばにおけるストックホルムでのコンサートの「ソー・ホワット」のマイルスのソロで、
『ソロを構築していた彼が、これから楽想を自由に羽ばたかせようとする直前に一息ついた。そこで私はコードを弾いたが、それは不適切な音だった。・・・・私はとっさに「あっ、しまった」と思った。みんなで築いてきた素晴らしい音の楼閣を私が壊してしまったのだ。マイルスはほんの一瞬、間をおき、奇跡的にも私の弾いたコードが正しかったと思わせる音を吹いた。その瞬間、驚きのあまり私の口はあんぐりと開いてしまった。』
『ジャズは瞬間に生きる音楽なのだ。自分を信じて臨機応変に対応するのがジャズだ。それができなければ、音楽においても人生においても、道を切り拓くことはできないし発展することもできない。私は幸運にも、マイルスとの共演、そしてその後のさまざまな経験を通じて、それを学ぶことができた。』と、ハンコックは回想しています。
1965年12月のプラグドニッケルのライブに関しての描写も記憶に残るものです。演奏直後、ひどいサウンドだとハンコックは思ったようですが、17年後発売されたアルバムを聴いた彼は、『このサウンドは洗練されていない。ここにあるのはむき出しの熱気と大胆さだ。生のエモーションだ。プラグド・ニッケルでのレコーディングを聴くと、いまも私はその生々しい情熱と真摯な意気込みに圧倒される。』と述べています。
プラグド・ニッケルのアルバムを、僕は発売直後に購入して聴いたところ、フリー的なインプロヴィゼーションが展開されていて、すごいと同時に難しい音楽だとびっくりしたのですが、当時のメンバー間のやりとりなど、この本の記述を通して、そう感じた原因がおぼろげですがわかりました。
Miles Davis 「at Plugged Nickel,Chicago」
驚くことに、ハンコックがエレクトリックピアノを弾く端緒となったのも、マイルスでした。1968年5月、アルバム「マイルス・イン・ザ・スカイ」のレコーディングで、『スタジオに入ると、私が弾くはずのピアノがなかった。「マイルス、おれは何を演奏すればいいんだい?」と訊いた。彼は「あれを弾け」といい、隅にあるフェンダー・ローズのエレクトリック・ピアノのほうを顎でしゃくった。』とあり、それまでエレクトリック・ピアノには何の興味もなかったハンコックの目を開かせることになります。
Herbie Hancock 「Head Hunters」
90年代における深刻なコカイン中毒を家族の力で乗り越えられたという出来事は、この本の中で初めて明らかにされました。さらに、マイルスと出会う前のドナルド・バードとの日々や、マイルス以降のファンク・ミュージックのこと、映画音楽とのかかわりなども詳しく書かれていて、ハンコックファンはもちろんですが、ジャズファンなら興味深く読める本です。
参考に、目次を掲げます。
第一章 シカゴのサウス・サイド
第二章 ジョージ・シアリングのジャズ
第三章 グリネル、シカゴ、そしてニューヨークへ
第四章 ドナルド・バードと〈ウォーターメロン・マン〉
第五章 マイルス・デイヴィス・クインテット
第六章 マイルスとウェイン
第七章 〈処女航海〉と初めての映画音楽
第八章 結婚、そして独立へ
第九章 ハービー・ハンコック・セクステットの始動
第十章 エムワンディシ・バンド
第十一章 シンセサイザーの導入
第十二章 仏法の実践
第十三章 ファンク・ミュージックへの転身
第十四章 『ヘッド・ハンターズ』の成功
第十五章 VSOPクインテット
第十六章 ニュー・テクノロジーの追求
第十七章 ウィントン・マルサリスとの共演
第十八章 〈ロックイット〉のヒット
第十九章 『ラウンド・ミッドナイト』
第二十章 悲しみと栄光
第二十一章 マイルスとの最後の日々
第二十二章 崩壊の淵
第二十三章 『リヴァー~ジョニ・ミッチェルへのオマージュ』
第二十四章 不可能への挑戦
謝辞
訳者あとがき
ハービー・ハンコック リーダー・アルバム・リスト
索引