Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

武器としての大義

2006年06月23日 21時27分55秒 | Weblog
 6月19日号のTIME誌(アジア版)の表紙は、×印をつけられたザルカウィで、3ページにはその遺体の顔写真が載っている。しかし、「これで事態がどれだけ変わるというのか?」という皮肉なコメントも下についている。案の定、行方不明中の2人のGIが、brutally killed(惨殺された)というニュースが飛び込んだ。犯人は、殺されたザルカウィの流れを汲む者らしい。
 バーディーは、イラク戦争開戦当時アメリカにいたが、はじめから戦争には反対であった。理由は、外交によってほぼ完全に解決可能な問題だったからである。今思えば、「国連中心主義」という「大義」を振りかざして、アメリカの暴走を押さえる手段もあったかもしれないが、それにもかかわらずラムズフェルドらに押し切られたかもしれない。だが、それならそれで、国連のお墨付きがないことを理由に、アメリカを積極的に支援しない(つまり自衛隊の派遣も軍費拠出もしない)というベターな選択もありえた。いずれにせよ、奇麗事を正面に打ち出すやり方で一貫できた。
 イラク戦争の「大義」は、「イラク及び中東の民主化」(イラク国民に自由を!)であるが、アメリカの本音は石油利権にあることくらい、いうまでもないだろう。ところが、日本のマスコミに特徴的なことに、いまだに、「アメリカの本音は○○であるから、けしからん」などというものがある。これがいわゆる丸山真男浅田彰の指摘する、建前を批判して「むき出しの本音」を前面に打ち出す日本流の主張である。それは、仲間うちで共感を呼ぶことはあっても、国際社会では決して受け入れられず、アングロ・サクソン流の似非理想主義すら決して凌駕することもない。
 こうしたマスコミの主張は、国際社会からは、「そんなの分かってるよ。何を寝ぼけたこと言ってるんだ」と一蹴されるに違いない。フランスや中国ですら、「アメリカよ、お前の真の狙いは石油じゃないか!」と公に言うことはまずないだろう。丸山氏いわく、「アングロ・サクソン的理想主義を偽善とみなす(かつての)ドイツ的発想は、むしろ政治的未成熟の証左なのである」。
 
 
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奇跡は起きず・・・

2006年06月23日 07時33分00秒 | Weblog
 日本、ブラジルに1-4で逆転負け・・・予想したとおりの結果であった。
 それにしても、「奇跡」を求める人間の心理は、不思議といえば不思議である。そこまで非日常に憧れるというのは、日常生活に満足していない(退屈している)ことの裏返しなのかもしれない。人間は感動を求める生物であるが、確かに、日常に感動はさほどないものである。
 ・・・話は変わり、奈良の放火殺人少年は哀れというしかない。一流進学校では、「一流大学合格」がすべてであり、日常生活のすべてがその「結果」のためにささげられる。ワールドカップが4年に一度なら、大学入試は3年に一度(というか唯一)のハレの場なのである。
 よく言われることだが、要するに、未来のある目標のために現在をささげるべきではないのかもしれない。
Seize the Day (その日をつかめ)


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