実家の倉庫で再発見した「山ン本五郎左衛門只今退散仕る」を約20年ぶりに再読する。読後感がさわやかである。
著者(稲垣足穂)は、妖怪は「愛」ゆえに平太郎を驚かし続けたと解釈しているが、ここで私は、ショーペンハウアーの「表象」を思い出した。
妖怪(山ン本)が繰り出す女の生首などの妖怪は、いわば「表象」であり、そんなものに動じることなく「物自体」をとらえ続けた平太郎は、妖怪が与えた試練を克服したという風に読めたのである。「妖怪」は、少年がこれからの人生で出会うであろう、さまざまな試練(もっとも、それは「表象」に過ぎないのだが)を象徴しているのではないか。
著者(稲垣足穂)は、妖怪は「愛」ゆえに平太郎を驚かし続けたと解釈しているが、ここで私は、ショーペンハウアーの「表象」を思い出した。
妖怪(山ン本)が繰り出す女の生首などの妖怪は、いわば「表象」であり、そんなものに動じることなく「物自体」をとらえ続けた平太郎は、妖怪が与えた試練を克服したという風に読めたのである。「妖怪」は、少年がこれからの人生で出会うであろう、さまざまな試練(もっとも、それは「表象」に過ぎないのだが)を象徴しているのではないか。