「ソクラテスの弁明」の中には、ソクラテスが「ダイモーン(ダイモニオン)」の声に従って行動するというくだりがちょこちょこ出てくる。高校時代に読んだとき、これに強くひっかかるものがあったのだが、フロイトの「ナルシシズム入門」に的確な指摘があった。
「注察妄想」に苦しむパラノイア患者は極端な例であるが、一般の人間にも「ナルシシズム的な満足の充足を監視し、この立場から現実の自己をたゆまず監視し、理想に合わせるような役割を果たす特別な心的な審級」(つまり「超自我」)があり、これが「声」となって発現するというのである。その正体は、どうやら、幼少期における理想としての父・母であるようだ。
こうした哲学と精神分析学との連動は面白い。
「注察妄想」に苦しむパラノイア患者は極端な例であるが、一般の人間にも「ナルシシズム的な満足の充足を監視し、この立場から現実の自己をたゆまず監視し、理想に合わせるような役割を果たす特別な心的な審級」(つまり「超自我」)があり、これが「声」となって発現するというのである。その正体は、どうやら、幼少期における理想としての父・母であるようだ。
こうした哲学と精神分析学との連動は面白い。