「週刊新潮」1/28号(PTに訊け)で、中野ジェームス修一さんが、「スランプを脱出するためには、失敗したら、その反省点を次に生かそうと考えない」ことが重要だと指摘している。
ここで私は、「西郷南洲遺訓」の一節(二十七)を思い出した。
「過ちを改るに、自ら過ったとさへ思い付かば、夫れにて善し、其事をば棄(す)て顧みず、直に一歩踏出す可し。過を悔しく思ひ、取繕(とりつくろ)はんと心配するは、譬(たと)へば茶碗を割り、其缺けを集め合せ見るも同にて、詮(せん)なきこと也。」
失敗のイメージは固定・定着しやすく、これはPTSDと同様の作用と思われる。だから、精神衛生上は、これを「棄て顧みない」ことが重要なのである。
ここで私は、「西郷南洲遺訓」の一節(二十七)を思い出した。
「過ちを改るに、自ら過ったとさへ思い付かば、夫れにて善し、其事をば棄(す)て顧みず、直に一歩踏出す可し。過を悔しく思ひ、取繕(とりつくろ)はんと心配するは、譬(たと)へば茶碗を割り、其缺けを集め合せ見るも同にて、詮(せん)なきこと也。」
失敗のイメージは固定・定着しやすく、これはPTSDと同様の作用と思われる。だから、精神衛生上は、これを「棄て顧みない」ことが重要なのである。