明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



先日博品館劇場のトイレでふと鏡を見たら白髪がだいぶ増えていた。普段と光線具合が違うので目に付く。一年間、河童で苦労したせいであろう。父は私より白髪が少なかった。本人は自慢のようであったが、私にいわせれば老人として可愛げ気に欠けるように思えた。歳相応が一番良い。 あまりに唖然としたので何度も書いているが、フィリピンパブのフィリピーナに「苦労ガ足リナインジャナイ?」と我が面相をカタコトで評された私であるが、それは実は表面だけのことであって、久しぶりの検査の結果、内情は充分苦労していたことが判明した。いやむしろ苦労し過ぎな部分がある、といわれてしまった訳である。 若く見えて得することなど一つもない。歳を聞かれるたび『そんな歳取ってたの?』という顔に耐えなければならず、うんざりである。さらに迷惑するのが酒場である。下町は『男はつらいよ』にでてくるような、気安いおっちょこちょいばかりだと信じ込んでいる隣の男に話しかけられる。例えばボクシングファンの男に大場正夫について熱く語られた。私も小学生時代TVに噛り付いた伝説の男である。知っているエピソードばかりで面白くないが、相槌くらいは打つ。するとこの男「一度くらい見たかったなぁ」。なに?聞くと私よりはるかに若い。『小僧!観たことないのに、俺に偉そうに語ってたのか?』生意気に遠くを見る目なんてしゃがって!こういう輩はもともと年下だと思ってなめているので歳をいえばスゴスゴ退散ということになる。 いくつになっても学年でいうと、などというのが男性である。社会人というのはどうしても自分と他人を比較せずには生きられないようだが、私のように社会人のフリをしているだけで、周りを薄ボンヤリとしか見ずに生きていると、苦労が足りないといわれる結果になるが、中身にさえこだわらなければ、コラーゲンより効き目がありそうである。

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