明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



何度か書いたことであるが、私は子供の頃、頭の中に浮かんだイメージはどこへ行ってしまうのだろう、と不思議でしょうがなかった。間違いなく在るのに。それを取り出し可視化し“やっぱり在った”と確認するのが私の創作行為といえる。そういう意味では『貝の穴に河童の居る事』はおおよそ私の頭の中に在ったそのままである。しかし頭の中に在る物に満足していれば、じっと目を瞑っていれば良いことになりかねない。 動かない人形を撮影の対象とする場合、画面に動きを与えるため、私のコントロールの及ばない偶然の出来事を積極的に取り入れてきた。今回素人の皆さんに演じてもらったくだりは、人形に徹してもらい一挙手一投足、それこそ小津安二郎のようにすべて支持するつもりでいた。そもそも単なる素人に演技を要求するなど酷であるし申し訳ない。しかし始めて早々、この人たちにも私のコントロールの及ばない領域を担ってもらうことに決め、こうしてくれなければどうしても困る、という箇所以外は最小限のイメージを伝えるだけに留めた。そうして何かを“しでかして”くれることを待つことにした。 作戦変更を決めたのは旅館の部屋に※大魚が放り込まれるシーンの撮影時である。動きの中心となる芸人夫婦は各々4、5カットしか撮っていない。これ以降も撮影時間は短く、シャッターを切った回数も少ない。私にとってのカメラの使用方法を再認識し、頭の中に貼りついたように存在したイメージに動きを与えることができたように思う。 ところで編集者とは、当初カット一つ一つに使う使わないでバトルを繰り広げていたが、ある時点で編集者も私のコントロールの及ばない偶然を担う部分と考えるようになった。以後一切任せっきりにしたが、結果、良い意味で私がイメージしていた書籍と一味違うものになった。

※背景は合成であるが、『江戸東京たてもの園』に移築されている旧高橋是清邸である。 この奥の部屋で226事件により是清は暗殺されている。 

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