明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



先日ブログを見た知人から、玄米なんか食って、なに健康に気を使っているのだ。といわれた。自分たちサラリーマンと違って、私がそれでは駄目だろう、というのである。なんだか良く判らないが。 某所で飲んでいると、店主が自分の検査結果が入った分厚い封筒を取り出し、私のもろもろの数値はいくつだ、と聞く。そんなこと誰がいうかよ、と答えたが、実際は数字が覚えられない私は何も覚えていない、というのが本当のところである。人間の体温もだいたいこのぐらいだ、とうる覚えだし、覚えているのはトツキトオカくらいなものである。 店主は同窓会で、健康の話ばかりが盛り上がって、とこぼしていたが、どこでもそんなものである。もうこんな話はよそう、といって30分後にはまた戻ったりして。よほど深刻な状況でないかぎりは、みな笑顔で、どう考えても不健康を自慢しているようにしか見えない。先日書いた、男性はボロボロな物に惹かれる、ということと何処か通じる部分があるのだろうか。弾き倒して塗装の剥げたロリー・ギャラガーやスティービー・レイヴォーンのギターや、戦場などの取材で磨り減り凹んだニコンのように、我が身のダメージも愛おしく感じる、ということなのであろうか。 女性が女性同士で不健康自慢、というのはあまり聞かないが、駄目男や駄目亭主自慢というのは良く聞く話である。男性の駄目女房の話を聞くことは勿論あるけれども、自慢しているように聞こえることはない。

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