明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

読書  


久しぶりの深川図書館である。ここは松尾芭蕉を作っている時、そばに設置してある芭蕉の銅像の前を通りながら、弟子の描いた肖像画をまったく無視した老いぼれで、私より年下なのに何だこの老人は!と憤慨していたのを思い出す。三島由紀夫のオマージュ“男の死”制作の時にもよく通った。 某作家の全集に収められた中から未読の作品を読む。読書中、映像が浮かび続けるのは子供の頃から相変わらずであるが、どうもそこに、それを作品化しようと企むもう一人の私がへばりついているような気がする。なんでそう思うか、というと、目は次の行にいっているというのに、頭の中のイメージは前の行に留まり、主人公の男の、畳に座る尻の形などを目で追って観察しているのを感じるからである。といってもそれはわずかな時間で、文章を音読するとき、発音している時には、すでに目は、少し先の文字を追っているが、あんな感じといえば良いだろうか。もう純粋に読書を楽しむことはできなくなってしまったのか、と考えると少々薄ら寒い気がするが、私にとっての読書が風景画家のスケッチ旅行のようなものだ、と考えれば、気にすることもないであろう。私としたことが、少々スカしたいい方をしてしまった。どうも風邪をひいたらしい。

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