明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



小学、中学、工芸の専門学校の先輩であるSさんと会う。地元で陶芸をやっていたが最近引退した。夫婦そろって趣味三昧で、Sさんはもっぱら賭けない吸わない飲まない健康マージャンだそうである。Sさんは酒を飲まないので喫茶店かと思ったら、ここは喫茶店に行くより安いのだ、とカラオケ店へ。 『貝の穴に河童の居る事』の制作時の話をする。Sさんには学生時代には粘土の菊練を教わり、この間、世界のこんなところにも日本人が、みたいな番組に登場したもう一人の先輩と廃村で一年暮らしたくらいで、私の陶器で手捻りした最初期の時代から見ており、ブルースシリーズを一体所有してくれているし、すべて把握してくれているはずなのだが、柳田國男扮する、灯ともしの翁を人間だと思っていたので驚いた。Sさんがそう思い込んでいるくらいであるから、亡くなって50年経っており、仮に生きていたとしても、こんなことをするわけがないことを知らない人は、人間だと思っているのであろう。後書きに書いておいたし、神官の装束はどうみたって粘土なのだが。もっとも手足は近所のヒマな酔っ払いの手足を合成している。これも誤解させる原因であろう。制作中のブログでは、たびたび書いていたのだが、よりによってこの人物を柳田の手足に使った、というのが、いかにも失礼な気がして最近は封印していたのである。 そんな話をしていたらSさん、マージャン仲間に誘われカラオケにはまっているというので驚いた。私も自分がカラオケで歌うことになるとは思わなかったがSさんはそれ以上である。ノートにレパートリーがずらりと並び、おまけにカラオケの音程を変える度合いが数字で書かれていて呆れた。この二人がカラオケで歌う日が来るとは思わなかった。もっとも、以前のSさんを知らなければ、どれだけ意外であるか判らないのでこの辺にしておく。柳田の手足の件も、どんな人間を使ったか私が黙ってさえいれば良いことである。

過去の雑記

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