明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



K本にたまに現れ『貝の穴に河童の居る事』で最初に番頭役に、と考えた人は、最近見ないから死んでいるだろう。昼と夜を間違えるような酔っ払いであったから(最近も午後と午前の6時を間違え、何故シャッターが閉まっている、と店に電話してしまった人物もいたが)よく燃えたに違いない。と書いていたら本当に亡くなっていた。元ボクサーだと聞いていたし、河童の腕を折る役には良さそうであったが、当初考えていた舞台となる旅館を、江戸東京たてもの園に移築されている高橋是清邸にグレードアップした。となるとその人では、どう見ても下足番にしか見えないのでキャストを変更したのであった。もう一人。つい最近までK本に顔を出していたTさんも暮れに亡くなったと聞いた。腹水が溜まっており、やはり肝臓だったらしい。老けていたが、二人とも60をちょっと出ただけだったそうである。昨日、そんな話を訊いてK本からT千穂に行こうとしたら、Tさんが止めた方が良いといわれていた。Tさんはニコニコしながら周囲に焼酎を注ぎ続け、周囲を酩酊させる“注ぎ殺し”として恐れられていたが、それが自分にもかえってきてしまったらしい。お互い気をつけましょう。私は玄米を食べている。 ところで。私が高校生の頃、その美貌で映画雑誌を飾っていた女優がいた。ヨーロッパで活躍したが、1951年アメリカ生まれである。たまたまユーチューブを見ていたら彼女が歌も唄っていたことを知った。80年頃。相変わらずキュートである。だがしかし。検索はそこで止めておくべきであった。彼女はやってしまっていた。現在の姿は同一人物とはとても思えず、もうほとんど妖怪である。そしてその手の人達は、ゆえにエスカレートしてしまうのであろうが、客観性をすで失っているように見える。 そう思うと『恐竜100万年』で当時の少年達をときめかせたラクエル・ウエルチの70過ぎての美貌は、これはまた化け物の範疇であろう。こちらは全身“修理”していることは、昔から公言していたが。いやはや、それにしてもショックである。

過去の雑記

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