古いアナログ用写真機材を扱う代官山のフォトシャトンが閉店だそうである。大判用機材はすでに揃っているし、眼に毒ということもあり、開店のお祝いにでかけて以来、一度も顔を出さずじまいになってしまった。代官山苦手だし。 店主の井上さんは、プリンターの田村さんの紹介で知り合ったが、もともとは井上さんが書いたクラシックカメラ雑誌の記事の作例写真の被写体が田村さんで、私が某所で田村さんを“発見”したことがきっかけであった。古典レンズに詳しい田村さんであったが、もっと詳しい人がいる、というので、当時井上さんが勤務する国立のカメラ店に、オイルプリントの試作を持って会いにいったのが90年代の始め頃である。井上さんには「いつか写真店じゃなく、薬品問屋で材料を買って写真をやるような人が現れると思った。」といわれた。井上さんから薦められた、製造から百数十年経っているアプラナートレンズは、私の古典レンズのイメージの原点となっている。 その頃、田村さんが勤めていたラボの暗室によくお邪魔したものであるが、そのプリントテクニックを真近で見て、全部自分でやった、といいたがりの私が、にもかかわらず、我流でやっていたモノクロプリントを止めた。こんなところまでやるには人生はあまりにも短い。以来プリントは田村さんにお願いし、おかげで無駄な時間を費やさずに済んだわけである。 一方、私が古典技法のオイルプリントを始めたのは、野島康三の作品に一目ぼれしたことがきっかけであったが、当時は写真展を開こうなどとは夢にも思わず、人形作りを放って何をしている、と思いながら熱中した。当時まったく気付いていなかったが、やり方によってこの技法は、嘘もホントもホントも嘘も区別がつかない。実はこの点が、江戸川乱歩同様“現世は夢 夜の夢こそまこと”な私には色々やり様があることになる。もう一つ。数ある写真技法が基本となる暗室技術、教養が肝心であることに対し、オイルプリントはむしろ“祈る力”が物をいう。そもそも私の人形制作法も、ただひたすら完成を祈る。という作り方なのである。
過去の雑記
HOME