明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



先日来、大判カメラに使用するレンズを選んでいる。フォーマットを何にするかで当然変わってくるが、人物はこれ、ワイドの場合はこれ、といくつか選んだ。潔く、このレンズしか使わない、というのが本当は良いに決まっているが、なかなかそうはいかず、実に“男らしく”迷った。 最近は古典レンズも人気なようで、良いものは出てこないらしいが、こんなことになる前に、それこそガラクタも含め、所有欲を満足させておいたのは良かった。自分の趣味も大方判ったし。 結局一番肝心なのは、己のイメージ。世界をどう観ているか、観えているかにかかっており、道具は所詮道具である。 私の最も肝心な竹べらは、某所でもらってきた足踏み健康用の竹で作った。陶芸の専門学校時代、誰が作ったか判らない竹べらを、十年近く使った頃だろうか、片付けていてゴミと一緒に捨ててしまった。長年の相棒。ショックである。仕方ないので適当な竹で作ったが、気がついたらその日のうちに、何事もなかったように制作していた。以来、弘法ではないが、こだわりはなくなった。 他に肝心な道具というと、アイスクリームを買うとついてくる木のサジである。粘土との相性、弾力、共に他のものに換えることができない。などといって仮に失くしても、こちらはいくらでも補充がきく。私は頭部を作ってしまえば、裸体でなければ一気に作るが、その際のスピードは、このサジの弾力が支えているといっても良いだろう。 
ギターのコンデンサやピックアップを交換してみよう。と中を開けてみるのだが、そのごちゃごちゃした配線を見るだけでうんざりである。幼稚園児の時に、近所の幼馴染の家でモーター付きのプラモデルを一緒に作った。幼馴染は後にアンプやエコーマシンなど自作することになる器用な男であったが、学年が一緒でも二月生まれの私とは当時明らかな差があり、それも含めたうんざり感までよみがえってくる。私の電気関係苦手意識は、これに加え、様々なイタズラや熱帯魚の飼育で何度も感電しているせいであろう。

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