明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



55年と67年に来日したインドの強豪レスラー『ダラ・シン』は同一人物か否か、というのは昔から意見が分かれていたことをツイッターで知った。私はひと目見て、これが同一人物に見える人がいるのか不思議で、「人形制作者の私にいわせると、この程度で似ているといっていては仕事になりません」とツイートした。しかし骨格などよく比較もしないでエラそうにいってしまったな、と本日見直したらやっぱり違っていた。一言でいえば、“聴こえて”来るものが違う。それは実際耳に聴こえる類の物ではなく、その人物の声が頭に浮かぶ、というのとも違い、そう表現するしか他にいいようがないような物である。そこで改めて思ったのが、特に実在した人物を制作する時、写真に示されている“形”とは次元の違う聴こえてくる物を私は基準に制作してきた、ということであった。似ている似ていない、よりむしろ肝心なこと、としてきたような気がする。それは制作に関してだけでなく、写真を見てムラッと無性に作りたくなる時も、聴こえてくる物にムラッと来ていたことが判った。 

今日は朝から映画が観たいと思った。近所で上映されている作品の中から『永遠の0』と『ゼロ・グラビティ』を選び、観たという友人にメールをしてみた。『永遠の0』は原作を読んだ話も聞いていたし『ゼロ・グラビティ』はメイキングを見て興味を持った。『ゼロ・グラビティ』は画面が揺らいでいるのが気になったが、宇宙酔い間違いなし、と返事が着た。それは肯定的な意味のようであったが、中学の時、スティ-ブ・マックイーンの『栄光のル・マン』で酔ってしまったので即却下。あれは地べた上の話だからまだマシであったが、そもそも危険な山を登る登山家をなぜ変態扱いしないのだ、と常日頃思っている私にとって、暗い宇宙空間に一人浮かぶ飛行士は人間にとって最悪の状態なのである。 『永遠の0』は岡田准一の面差しが終始良く、特にラストの表情にはやられた。エンドロールは丁度良い“お化粧直し”タイムであった。

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