先日落札した燭台(蠟燭立て)だが届いてみると、やはり鏑木清方描くところの三遊亭圓朝の横に立っている物と同じ物であった。幕末から明治の物であろう。違うといえば菊型の台の部分が清方の方が木部剥き出しのように見えるのに対し、こちらは黒い漆塗りだった、らしいことである。塗りはボロボロである。剥がして木部を剥き出しにするか黒塗りにするか、どうしようか、というところである。蠟燭を立てる部分は、転倒を防ぐ輪がついているが、錆が出ていて長年実用の痕がある。これはせっかくなので残したい。 アンソロジストの東雅夫さんが、昔書かれた怪談会の様子を復刻してくれたが、泉鏡花、柳田國男、ついでに三遊亭圓朝に集ってもらうのはどうだろう。 百物語の会に一度参加したことがあるが、若い人が大半だったこともあり、笑いを交えてさっぱり怖くない。妖怪が子供の味方する嫌な時代である。私の子供時代でもガメラが子供を助けていたが、そんな路線が長続きするわけがない。現実社会が怖すぎて妖怪怪獣の類いが格上げ?されているのであろうか。やはり怪談も、私が小学生の時に封切られた、大映『妖怪百物語』における当時の林家正藏、後の彦六語る、あの調子が望ましい。 昔の灯りの暗さは、写真、映画、絵画、共に描かれていない。リアルに再現したい気もするが、本当に暗いから、そのままではそれこそ画にならないだろう。 いずれにしても圓朝の横に配されたこの燭台。怪談会にもっとも相応しい燭台といって良いだろう。

石塚公昭HP
『タウン誌深川』“常連席にて日が暮れる”第6回