絵画立体を含めて人物像を見るとき、それがその人物の生前に制作された物か死後に制作された物か、死後だとしても面識があったか、などは気になるところである。残された写真のみを参考にしたとなれば私と条件は一緒である。本人を目の前に制作した像がある。こればかりはどうにもならない。悔しいので制作中はおろか浅草寺にある九代目團十郎像は未だに見に行っていない。似ていればいいかというとそういうものでもない。当然そこに制作者の解釈が含まれるべきであろう。昔の職人が制作した活き人形は迫真の技をもって作られているが、中にはリアルな死体になってしまっている作品も散見する。いくら神は細部に宿るとしてもあれはいただけない。 三遊亭圓朝は、会ったこともないのに写真より圓朝らしいと思えるのが鏑木清方の作品である。二人は交流もあった。デフォルメ具合が素晴らしいが、猫背気味の姿を強調するためなのか、座った腰から膝までがおそらく本人より十数センチは長く描いている。 私はというと清方描く当時の寄席の様子だけを参考にさせていただこう。しかし古今亭志ん生を作っていた時は、最高位の横綱を作っている気分で、そのさらに上をいく噺家を作ることになるとは思わなかった。
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