鏑木清方が描く三遊亭圓朝は、高座に上がり湯飲みを捧げ持っている。確か岡本綺堂だったと思うが、少年の頃。圓朝の怪談を読んで、たいしたことはないと思って実際聴いたら怖くて早く家に帰った、という話を読んだ記憶がある。その時綺堂が書いていたのが寄席の暗さであった。清方の絵は日本画独特の表現で明るく描かれているが、横にあるのは燭台に蠟燭である。向かって右側しか描かれていないが、おそらく左右で一対置かれていただろう。高座がこれであるから客席の暗さは推して知るべしである。それは怖いだろう。 泉鏡花作『貝の穴に河童の居る事』の長ツラの夏帽子、元々麻布あたりの金持ちであった笛吹きの芸人は、私が考えるに『鹿嶋清兵衛』がモデルである。当時低照度の劇場内に、照明器具を持ち込み、九代目市川團十郎『暫』の撮影に成功している。これが日本初の舞台撮影となる。その照明技術を買われて鏡花の舞台『高野聖』舞台の照明を担当し、大型照明装置の暴発で一部指を失い、後々能の笛吹き方に転向している。つまり劇場だろうと寄席だろうと家庭だろうと、日本の夜は暗かったわけである。それをそのまま再現するのも一興であろう。行灯はすでにあるし、漆塗りの燭台も本日届いた。立体は作ってしまえばどんな光も当てられる。いっそゆらゆらとした人魂を光源とすることも可能であろう。
石塚公昭HP
『タウン誌深川』“常連席にて日が暮れる”第6回