明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



色紙が出てきた。『松岡洋右』『香椎浩平』『山下泰文』『荒木貞夫』『辻政信』。歴史物を読む際、こんなものが傍らにあるとリアル感は高まる。さらに歌舞伎役者。何代目かは不明だが『尾上梅幸』『二代目市川段四郎/初代市川猿之助』『十三代目片岡仁左衛門』『初代中村吉右衛門』『七世市川八百蔵/七代市川中車』『七代目澤村宗十郎』『中村魁車』『六世中村歌右衛門』ついでに『市川右太衛門』。『島田正吾と辰巳柳太郎』。そして初代河原崎権十郎/九代目市川團十郎』。 七代目團十郎が五男の後の九代目を河原崎に養子に出したが、そのあまりに厳しい稽古に連れ戻そうとしたという。古い雑誌で幼さない九代目の稽古スケジュールを読んだが、涙を拭っている暇さえないようなものであった。書画も稽古のうち。当然達筆である。 近所の古書店で入手した『三遊亭圓朝』(永井啓夫著)を読む。演劇改良運動を後援した井上肇邸で、明治20年に天覧歌舞伎があり、それ以降歌舞伎、及び歌舞伎役者の地位が上がった。それまでの歌舞伎役者は、と十二代目がNHKで解説しているのを観たことがある。 井上肇を検索すると、九代目がかつての養家から泣きつかれて背負いこんだ、河原崎座の借財整理に協力したこともあった、とある。そして展覧歌舞伎の二年後に、西郷従道邸の演芸会で、圓朝は御前に召され、『塩原多助』を口演申し上げたということである。

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