明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



制作中の人物は、これから私に妙な目に遇わされる予定だが、それは本人がそんなことを描いているのだからしかたがない。つまり村山槐多以来の画家である。そちらの世界の人物にも、手がけてみたい魅力ある人物はいくらでもいたが、小説家と違い絵画というビジュアルを残しているので、創作できる範囲は狭い。私が中学1年だったろうか、祖母に連れられ初めて西洋美術館で観たのがロートレックであったが、特徴的な姿形でもあり、私がフランス在住のピエールだったならば、真っ先に手がけたであろう。つまり問題は背景である。そういう意味ではコクトー、デイアギレフ、ニジンスキーなども同様である。バレエを一度観ただけなのに個展を、さらにオイルプリントで、という今思うと赤面物の暴挙に出てしまったが、何事もやらないよりはやった方がマシである。私なら、ニジンスキーの大ジャンプを描ける。いつか再びと思いながら、舞台の模型による再現さえ一時は考えたが、それだけでは不十分。現場でロケするには、極度の出不精には難しい。
海産物をどこから仕入れようか検索している。『貝の穴に河童の居る事』の時は巨大魚イシナギが物語の重要な鍵となっていた。しかし、簡単には上がらない魚である。編集者は他の魚を画像加工しては、といったが、噓をつくには本物を混ぜるのがコツである。東北に毎日の水揚げをネットで流している鮮魚店が幼魚を扱っているのを見つけた。時が来たなら、と安心していたら、おそらく震災によるのであろう。メールどころか電話も不通で慌てた。モデルをお願いした人が痩せてしまったり、床屋や美容室に行ってヘアースタイルが変わってしまい慌てたこともある。いずれにしてもナマモノの撮影は要注意である。

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』より

月刊ヘアモード12月号 no・693
不気味の谷へようこそ第9回 脳内イメージを表す人形写真

※『タウン誌深川』25日“明日できること今日はせず”連載5回「芭蕉の実像」

HP

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