明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



夜中に蛸の撮影を済ませ、一眠りしたあと、老画家の身体に二匹の蛸をまとわりつかせた。画狂老人といって、すぐに浮かんだのが、蛸に襲われながらも画帖と筆を離さない葛飾北斎であった。モチーフはもちろん『蛸と海女』だが、解せなかったのが北斎の蛸の面相である。横山ノックの蛸踊りではないが、口を突き出した蛸の八ちゃん的イメージは、誰がいつ始めたのだろうか。あの口は配水管で、口は脚の付け根にクチバシがある。届いた蛸をぬめりを取るため塩で揉んでいて気がついた。北斎の蛸は帽子をかぶったような下に目があり、口があるが、あれは人間で言えばうなじあたりで、排水管を口に見立てるため、眼を後ろにもって来て顔にしているのであった。そうとわかれば私も、といきたいところであったが、そこが写真である。実際の部品では、どう考えてもああ面白くはならない。突き出した排水管が口でなければ有名な春画『蛸と海女』は成り立たない訳である。 半分凍った状態でT千穂に持っていき、脚二本を焼いてもらい後はしゃぶしゃぶにして北斎の身体役のじいさんとI夫妻と成仏させた。夜中の苦闘を思うと戦友を食したような気分が少々。


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瀬戸内海より活け締めされた蛸届く。つまり昨日まで生きていた。蛸はフリーペーパーの表紙で、円谷英二を制作したおり、権利の問題で怪獣を使うわけにもいかない。円谷はゴジラ以前、巨大な蛸が東京を襲う、という構想を抱いていたことから蛸を使った。最初に塩や糠でぬめりを取らなければならない。前回、最初こそこれが新鮮な蛸の香りか、と思っていたが、勝どき橋を襲う想定でポーズをとらせ、恨めしげな眼を見ながら撮影するうち、香りが臭みへと変じ、撮影後直に刺身で食すつもりが、食欲なくなり、すぐに茹で、それでも食べる気にならず、しばらく冷凍庫に入れたままであった。同じ轍を踏まぬよう明日には食す予定である。 “独身者の部屋はノックしないで開けるな”というが、私の撮影現場も、できれば完成を待った方が懸命であろう。友人から正月蛸を食べる気がしなくなった、とメール。撮影現場見たらもっと食べる気がなくなるだろう。 毎年恒例の風涛社の忘年会へ行くつもりが、蛸にかまけて欠席。

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