明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



老人ホームの母が蜂窩織炎を再発させ、3ヶ月入院していた病院にまた入院した。前回はナースセンターに顔だしたりうろちょろしたせいでコルセットで身動きできないようされたから、今度はうまくやれよ、といっておいた。何しろ外向的なので、入院といっても暗くならないので、その点だけは、あくまでその点だけは、助かる。
幕末、明治期の寄席を再現して、三遊亭円朝や、お露とお米に牡丹灯籠を持たせて前に立たせたが、寄席内部を再現できそうな所が近所にあった。私の場合、どうしようかな、なんて考えて思い付くことはまずなく、必ず頭の上にぼた餅が落ちてくるように突然くる。ただ問題は、その時代の観客までは再現ができない。粘土で後ろ姿を何体か作るか、着物を着て座って貰って、というのも、また1カットのために一大事である。円朝ともなると、客席は大入り満員でなければならない。ならば薄暗い中の高座といこう。大入りの様子は観客のシルエットで表現できるだろう。それにしても、人も場所もなんでも近所で済ますところが私らしい。燭台はまだ撮影に使っていない物があるし、高座上の火鉢も鉄瓶も座蒲団も本物を使おう。そういえば近所の店に羽織を着せれば明治時代の噺家に見えなくもない禿茶びんのマスターがいる。高座に二人は必要ないが、何かに使えないだろうか。そんなことを考えていると、我慢ができなくなってくる。 何かをやらずにはおれない人というものはいる。場合によっては、ある種の犯罪者にも同情的な私である。なにしろやらずにはおれないのだから。そう思うとやらずにおれないのが、たかだか人間みたいな形を作ったり写真撮ったり、とその程度で済んでいる、というのは幸せなことであろう。

新HP
旧HP

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載9回『牡丹灯籠 木場のお露』

石塚公昭幻想写真展-生き続ける作家たち- 2018年7月25日(水)~9月2日(日)

展評銀座青木画廊
『ピクトリアリズムⅢ』

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtub


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )