本の下から『中国神仙奇談』『列仙伝・神仙伝』が出てきた。蝦蟇仙人 と鉄拐仙人、鯉に乗る琴高仙人を手掛けてみて、仙人でないと作りようがないキャラクターが面白く、他のモチーフを探していたのだが、また同時に龍を作る理由を探していた節がある。それもこれも予定していなかった一休禅師を作ったことで流れが変わった。内心作りたいからといって龍なんて作ってはいけない、と考えながら、私のことだから、おそらく作ることになるだろう、と思っていたが、龍虎図の一方の虎を動物園の虎にしたこともあり、それらを作るくらいなら、本来の人物を作るべきだろう、と。いずれにしても、一休を作り流れが変わった。この成り行き任せ、行き当たりばったりの様は、まさに私そのものであり、気が付くと予定と違う所に着地している。 これは悪いことではなく、常に意外なことが待っているので面白くはある。若い頃ならともかく、残りの時間を考えると、変化の度合いを加速すべきであろう。