明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



作家を作る時、とっくに亡くなっていようと、本人に見せてウケようと常に考えていた。本人を作中に登場させるということは、単なる挿絵を描くのとは違い、作者を、その作品に乗じて描きたい。なので例えば江戸川乱歩は読者や出版社の求めもあり、猟奇的な作品を書き、そのグロテスクさに辟易となり後の版で削除したりする。そんな本人をバラバラ死体の中で嬉しそうな顔をさせる訳にはいかない。どんなシチュエーションの中にいようと常に他人事のような顔をしていてもらった。そしてご遺族に微笑んでいただき安心する。乱歩邸の乱歩愛用の椅子に深々と座ってみたら胸の内に”ユルス“という乱歩の声が聴こえた。   作家によってはこうしたら本人は絶対喜ぶだろう。、と思ったら、本人自らやっていた、なんて人物もいる。私の読みが当たった、と思いつつ本人にやられていた。となれば本人がやりたくても出来なかった、もしくは考えもしなかったであろう状態に陥ってもらい喜んでいただきたい。とやっていたら、そんなカットが使用された。実は文学青年なんか大嫌いな人で、本なんか読まない、そんな連中ばかり集めた。
 
 
 
 


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