最初に着彩するのは『タウン誌深川』新年号エッセイ用にしゃれこうべを枕の一休禅師の予定。新年号だけに”門松は冥土の旅の一里塚“の竹竿にしゃれこうべを掲げる一休を、と考えていたが、眺めているうちにこの髑髏枕の一休が気に入って来て、むしろこれで行こうと。もちろん“門松は冥土の旅の一里塚”のその後のことなので、竹竿にしゃれこうべの一休もいずれ作ることになるが、そんな絵は描いた人が結構いるだろうが、骸骨を枕にした一休禅師はいくらなんでもないだろう。当時は飢饉などで、そこらをちょっと掘ればいくらでも出て来たろう。そういえば、父が学生時代、友人のアパートに行ったら、日大医学部の学生が遊びに来て、カバンに人間の腕を入れていたそうで、家で解剖の練習をしたんだろうといっていた。父は子供を楽しませるために面白い話をしてやろう、なんて了見など爪の先程もない人間だったので多分実話だろう。寝床で桃太郎の話をしてもらったのを覚えているが、全く面白くなかった