明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



高校時代の友人で患者の自殺率の低さを密かに誇る精神科医からアマテラスは元々アマタ、アマネクテラス(遍照)だと聞いた。さらに便所にまで神様がいるとなれば日本に陰影などなくて当然であろう。 陰影を出さない私の手法を、とりあえず石塚式ピクトリアリズムと呼んでいる。ピクトリアリズムというのは元々西洋に起こった印象派絵画などのイメージを採り入れた絵画的手法であるが、私の場合は浮世絵、日本画的な物を写真に採り入れようと考えたので、日本的ピクトリアリズムとでもいいたいが、そんなことを試みる一派でもいるならともかく、私一人で日本などとはいえようがない。しかしながら私の行く手を、自由を阻害しているのは陰影である、という私の見立ては正しかった。以来やりたい放題である。ただし行く手を、自由をというのはあくまで私の事情であり、よって私は水槽の金魚を相手に日々暮らしている訳である。 そんな手段を入手したとなれば、現実についこの間まで生きていたような人や事などモチーフにしていられず、寒山拾得や千年前の人などをモチーフにしてこそであろう。私には水槽の金魚がいる。



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