明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



小四で読んだ大人向け『一休禅師』は朧げながら風采がやたらが汚いというイメージが残っている。一休が尊敬する人物に大徳寺の開山、大燈国師がいる。五条大橋の辺りで乞食の中で20年暮らした人物で、一休は中身は偉大だったり高貴なのに、敢えてそんな境遇の中で生きるような人物が好きである。あの汚さは憧れの国師に準じたのではないか。横目の肖像画の謎も、先日書いたようにおそらく大燈国師の横目の頂相をミーハー的に真似したと思しい。 そんなことを考えていたら、ラインが見えて来て、もう一人作るべき、僧侶ではない人物が浮かんだ。何んでも後回しにグズグスしているのに、こんな決断だけ瞬時に決まる。こうして枝葉を伸ばし、気が付くと予定と違う知らない街角に一人立っている、という私の人生上、お馴染みのことになりそうである。初の入院経験をきっかけに以後一休を軸に作り勧めるのが、入院前に立てたプランである。
 


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