昨年梅雨時の房総に、撮影に出かけたつもりが一滴も雨に降られず、梅雨時らしくするために夕刻に限って撮影することになってしまった。出発が遅れたのは、岩陰や茂った夏草の中に河童を直接置いて、合成を使わない撮影をするため、せめて2体を、と作っていたせいである。しかしなんとか撮れたのはほんの数カットであった。原因は頭の皿にある。原型となる一体目の頭部は、内部のくぼみに目玉をはめて、ポーズごとに視線を変えられるようにしてあった。ところがあまりに強い浜風に、うっかり瞬間接着剤で皿を固定してしまった。そのとたん目玉が内部で外れた。皿をはずしてやり直すにしても、植えた人毛を皿で押さえ込むようにしていたので、はがせば毛が酷いことになる。河童を作っていて梅雨を逃し、あげくは河童も撮れず、踏んだり蹴ったりであった。 しかし先日書いたが、人毛だと縮尺的にいくら細いものを使っても、針金のような剛毛になってしまう。それよりこの哀れな河童は、雨に濡れた顔面に、毛をべっとりと張り付かせてみたい。もう一つ。甲羅が亀の甲羅に近いのが気に入らなくなってきた。亀の甲羅だと、背負っていればポーズに制限がある。それよりスッポンの甲羅のように、薄くゼラチン豊富で柔らかい物に作り替えたくなってきた。これならポーズがかなり自由になるであろう。 房総で河童の撮影が巧くいっていたら、作り変えるかどうか、ここで私はもだえ苦しむところであった。“良かった、河童の撮影巧くいかなくて” 私は悔しいので、失敗しても都合良く、失敗して良かったというところまで持って行く。
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