明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

制作  


昨日撮影したカットの制作。鏡花の描くような背景など現在どこにもない。ほとんどのカットを合成しているが、こんなことまでしたのに。しかし、その努力が見えてしまっては野暮というものである。たまたまこんな場所を見つけて撮影しました。という風にしなければならない。それでも役者として参加してくれた方々だけは、自分達が立っていたのはマンションの駐車場だったのに、と思う存分驚いて欲しいところである。 昨日の撮影は、河童に化かされ旅館に逃げ帰ってきた三人。いったい私たちはシャモジやスリコギを持ったまま街中を踊り歩いてしまい、いったいどうしたんだろう?というシーンである。演技の経験のない素人の方々に、私の思ったような演技をしてもらいたい場合、この場面は、あなたはこんな心持ちであり、などといってもやれる訳がない。それを要求するのは酷である。そこで人間の形を粘土で作り続けてきた私は粘土製の人間、というつもりで、演者が実は腹の中では別のことを考えていようと、そう見えるよう形だけを指示し、その結果、そうとしか見えないような撮影ができた。今回は見た目で選んだ素人の方々を演出しているのであるが、世界の蜷川幸雄も役者時代、子供の私が観ても下手糞でつまらない役者だったから、自分がやることとさせることは別である。

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今年はサンフランシスコから息子を連れた妹が帰ってこないので、久しぶりに母と二人。この歳になってもあれを食べろこれを食べろ、と母親というものは有り難いものである。初夢に猫背であぐらをかいた口の大きな老人がでてきたという。それは私が最初に作った河童の三郎であろう。河童の表情違いの頭部5種類完成。一から作ったわけではなく、基本形を型取り、それを作り替えるので時間はかからない。 帰宅後Mさん宅に向かう。笛吹きの芸人とその妻の踊りの師匠。師匠仲間の娘。これで三回目の撮影である。うち二回は、想定した天気具合にならずに手こずったが、なんとかほぼ予定通り撮影した。問題は踊りの師匠の瞬きである。ユーモラスな表情の場合は大丈夫なのだが、ただ座っているとか、すました顔に限ってすべて目をつぶっている。昔戦闘機の機関銃は操縦席に着いており、自分のプロペラに弾が当たらないよう、同調装置を工夫したわけだが、それにしてもちゃんと目を開いているのが1カットというのはプロペラを狙っているとしか思えず。そこで今日は、いちいち確認したが、いきます、といった途端瞬きを始める。フェイントをかけ早めにシャッターを切っても、それを予想したように合わせてくる。これはもう動物のカンに属するものではないか。画質のことを考えると、シャッタースピードを上げるために感度を上げたくない。そこで目を開けていられると、責任を持てる間声を出してもらい、その間にシャッターを切った。 笛吹きの芸人役Mさんは、真面目くさった顔をするべきところで笑ってしまう。それはそうであろう。会社を定年になったとたん、何をやらされているんだ、という心の声が聞こえてきたが、一、二の三!というショットに強く、今回もイメージ通りの撮影ができた。 来週からは河童の表情に合わせた身体の制作を始める。

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3日  


専門学校の陶磁器科当時、アパートの隣の部屋に住んでいた年上の同級生に孫ができ、ばばと相成り、という年賀状が着ていた。当時鍵がかけてある彼女の部屋に泥棒が入り、開けっ放しの私の部屋は入られなかった。先客が荒らした後だと思われたんだろう、ともっぱらであった。三島由紀夫の『潮騒』を手がけた時、鳥羽に住む彼女が海女の着る“磯着”を探し出してくれた。今は観光用以外であの格好をする人はいない。どうしても使用方法の不明な一布は使わなかった。今はない『元祖国際秘宝館』の初代館長で経営者は彼女の叔父さんであった。

再び実家にもどり河童の三郎の頭部三体目。制作時ブログに書いたが、ハリウッド映画の、かつての悪役リチャードウイドマークのほんの短いシーンをユーチューブで観たせいだと思うのだが、当初考えていた顔と若干変わった。おかげでサッドフェイスがかっており、何もしなくても若干泣き顔っぽい。そこから笑顔に持って行くのは後回しにし、怒りの表情に次いでビックリ顔を作ることにした。 マテ貝の穴に隠れた河童。そこをマテ貝を掘り出そうと、旅館の番頭が客のステッキを借りてグサッとやる。本来マテ貝は、穴の上に塩を置き、塩分濃度の変化に貝は驚いたようにピョコッと頭を出す。そこを素早く摘みだすのである。常に泊まり客を海辺に案内していたであろう番頭とも思えぬ乱暴な方法をとったものだが、おかげで腕を折られた河童の恨みをかうことになる。腕を折られた瞬間の表情はどうであろうか。 この話が面白いのは、人間は河童の恨みどころか、その存在を知らないまま物語が終わることである。その一方で河童はジタバタしたあげく、実に単純に機嫌をなおし、住まいの沼に帰って行く。やはりポイントごとの河童の表情は大事であろう。

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一旦戻り、12時からYさん宅で新年会。ほとんどビールしか飲まないSさんはビールをキャリアーで運んで来た。それにKさんと私でお邪魔する。乾杯後さっそく暮れに入手しておいた『ウッドストック』のDVDを観る。来月一緒にスタジオで音を出そう、というYさんとSさんは年下で観たことがないという。ロックといえば60年代から70年代まで、という私の側に勧誘しようという訳である。 水を使わず日本酒のアルコールを飛ばしただけの鍋をいただく。ニューミュージックとビートルズ好きのYさんはともかく、『メタリカ』好きのSさんは『ザ・フー』や『テンイヤーズ・アフター』などは写真でしか観たことがないという。フーの『サマータイムブルース』。なんでこの曲をやる連中は手を振り回すのか、ピート・タウンゼント観て納得していたのが可笑しかった。『ジミ・ヘンドリックス』の演奏には二人とも釘付け。こういう音楽を聴かなければいけない。 正月早々風邪をひき、演歌専門でまったく『ウッドストック』に興味のないKさん。当時の若者が裸で行水するシーンに限って楽しそうであった。私も全編観るのは30数年ぶりだが、今では老人であろう若者達の様子が興味深かった。かつて“30過ぎた人間は信用するな”という時代があった。Yさんが久しぶりに引っ張り出してきたギターはネックが反っていた。 Yさんが録画していたビートルズの『マジカルミステリーツアー』を観る。冗談みたいなTV映画。寺山修司に任せた方が良い。Yさんは明日3日はもう仕事である。6時間飲み続け、みんな寝始めたところでお開きとなった。

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元旦  


正月を実家で過ごすのは何年ぶりであろうか。毎年妹が息子二人を連れてきていたのだが、長男が大学に入り、今年は帰らないというので、そのスキに帰るという次第である。 昼間は一杯やりながらTVを観て夕食の後はさっそく河童の制作を開始する。正月早々何が悲しくて、というむきもあろうが、TVを観たり酒を飲むより、こちらの方が良いのだからしかたがない。 河童の三郎の二つ目の頭部は、腕を折った人間に対する復讐心に燃えた表情を作った。河童の復讐譚であるから必要なのは当然だが、自分が娘の尻を触ろうとして怪我をしたのだから逆恨みも良いところであり、河童が怒りに燃えるほど、身勝手な馬鹿さ加減を表すことになる。「畜生!人間。」「士農工商の道外れた、ろくでなしめら。」「トッピキピイ、あんな奴はトッピキピイでしゅ。」

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