明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



今年はサンフランシスコから息子を連れた妹が帰ってこないので、久しぶりに母と二人。この歳になってもあれを食べろこれを食べろ、と母親というものは有り難いものである。初夢に猫背であぐらをかいた口の大きな老人がでてきたという。それは私が最初に作った河童の三郎であろう。河童の表情違いの頭部5種類完成。一から作ったわけではなく、基本形を型取り、それを作り替えるので時間はかからない。 帰宅後Mさん宅に向かう。笛吹きの芸人とその妻の踊りの師匠。師匠仲間の娘。これで三回目の撮影である。うち二回は、想定した天気具合にならずに手こずったが、なんとかほぼ予定通り撮影した。問題は踊りの師匠の瞬きである。ユーモラスな表情の場合は大丈夫なのだが、ただ座っているとか、すました顔に限ってすべて目をつぶっている。昔戦闘機の機関銃は操縦席に着いており、自分のプロペラに弾が当たらないよう、同調装置を工夫したわけだが、それにしてもちゃんと目を開いているのが1カットというのはプロペラを狙っているとしか思えず。そこで今日は、いちいち確認したが、いきます、といった途端瞬きを始める。フェイントをかけ早めにシャッターを切っても、それを予想したように合わせてくる。これはもう動物のカンに属するものではないか。画質のことを考えると、シャッタースピードを上げるために感度を上げたくない。そこで目を開けていられると、責任を持てる間声を出してもらい、その間にシャッターを切った。 笛吹きの芸人役Mさんは、真面目くさった顔をするべきところで笑ってしまう。それはそうであろう。会社を定年になったとたん、何をやらされているんだ、という心の声が聞こえてきたが、一、二の三!というショットに強く、今回もイメージ通りの撮影ができた。 来週からは河童の表情に合わせた身体の制作を始める。

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