明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


麻原彰晃処刑。私は真理などに興味はなく、辞書にも載っていない。科学などかじってつじつまが合わない、宗教に答えを求め、という真面目な連中が多いようだが、そもそも真面目なんていう物は万病の元である。私などは中学生以来、死と、宇宙の果てについては考えないことにしている。今日は月蝕だな、と知って歩いていても、見上げないくらいである。アナログカメラで尾を引き飛び回る不可思議な物を撮っても、ついに撮ったど!と喜びはするが、だからどうか、というとまあ、こういうこともあるんだな。ぐらいである。世の中オッチョコチョイが多い。 中途半端なことを知っていても、酒場で知ったかぶりするくらいにしか役に立たない。 あそこの角を曲がるとスーパーがあり。世界というものはそんなもので結構である。一生は短い。私の場合は一つのことで精一杯である。生まれ変わってだとか、来世でどうの、ステージがどうの、死んだ後までどうにかなろう、などという図々しいこと考えてどうする。その強欲さに辟易する。 その点桂歌丸である。死ぬ時はああありたい。最晩年、三遊亭円朝作品に挑んでいたところも立派であった。

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載9回『牡丹灯籠 木場のお露』

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石塚公昭幻想写真展-生き続ける作家たち- 2018年7月25日(水)~9月2日(日)

展評銀座青木画廊
『ピクトリアリズムⅢ』

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtub

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偶然  


個展用カタログ校正。16年の深川江戸資料館の個展あたりから今までのことを振り返る機会が増えた。丁度、作りたい作家がいなくなってきたタイミングでもある。なぜ続けてこられたか、というと、ただ目の前にぶら下がっているパンにかじりつくばかりで、先のことなど考えず、目標もないから挫折もない、というわけであろう。目の前のパンならなんとかなる。それは確実に逃さす食らってきた。本人は行き当たりばったりやって来たつもりであるが、俯瞰で見てみると、流れのようなものがある。これは、性能の悪い頭を使って計画したならこうはいかなかったであろう。リコーの展示作品を見て、今ではスマホ片手に、フィギュアやヌイグルミで誰でもやっているが、私の大リーグボール1号である名月赤城山撮法を久しぶりにやってみたくなっている。今のデジカメは軽いから良い。そう思っていたら、当時常用したフィルムtmz3200が今月再発されるという。一体どういう了見でこんなことをする。というほどこんな偶然はおきる。鏑木清方の円朝像に感銘を受け、円朝像を谷中全生庵の円朝祭りに巨匠の幽霊画と同室に展示していただくことになったら清方のお菊さんが百年ぶりに発見され、私の円朝像のすぐそばに来た時には、ちょっとやり過ぎではないかと思った。

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一部カタログに載らない作品もあるが、おおよそラインナップが出そろったようである。 今回の出品作を見て、片手に人形片手にカメラの撮影をしたくなった。最後にやったのは、中央公論アダージョの創刊2号の向田邦子だったかもしれない。この話を受けた時は人形を作って、特集場所に持って行って撮れば良い、と気軽に考えていたが、都営地下鉄駅周辺はロケ地としては華がない。さらに3号の特集が、日本橋とチャップリンなどと、この調子で強引なラインナップで、表紙として相応しい物ができる気がせず、名月赤城山撮法を断念した。 ある人物の首一つに、ポーズの違う胴体3体ほど持って撮影に行ってみたい。検索してみると、その人物が滞在した部屋が残されている、という。これはおあつらえ向きであるが、これは地元の観光協会が不確かなまま、そういうことにしてしまったのだ、という意見を見つけた。 常日頃、本当のことなどどうでも良い、ルールブックは私だ、などといっているが、それはつこうと思って噓をつく場合であって、それは創作という。現地にまで出向いて歴史的な場所で撮ってきたつもりで、実は違っていた、というのは別の話である。観光協会にまんまと乗せられたバカという事になってしまう。アダージョの時も頭を悩ませた。おかげで修整を施された夏目漱石の鼻筋に騙されずに、ワシっ鼻にしてやったけれど。

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最近はできるだけ制作について書くようにしているが、長い事続けていると、そうも行かない場合も多く、特におかしな人物との交流を書いて、人形作家としての神秘性はすでに失われている。かつて私の検索ワードにその人物のイニシャルが出て来ると聞いて、ゾッとして以来、その人物には触れないで、できるだけ制作について書くよう心がけている。昨日も個展をやるリコービルといえば、という話になり、その70間近いカワウソあるいは陸カッパ状の人物が、昔、浜町の寮から同僚数人で日比谷公園までアベックを覗きにいった話がでた。それが浜町から全員裸足で、銀座4丁目のリコービル、当時の三愛の前を通り、交番でとがめられる事もなく日比谷公園に向かった話は何度も聞いている。足音を消すためなら、現場についてから靴を脱げばいい。何も浜町から裸足で行く必要はないだろう。同僚はおなじ故郷の連中だったらしいが、誰もそのことについて疑問を感じなかったようだから、出身地は書かないでおく。不思議なのが、こういうしでかしたことに関して恥ずかしい、という感覚はないらしくカラカラと楽しそうに笑っている。そもそもこのオヤジは酒場の女性や自分の兄弟に◯さんて私のHPを検索してみろ、とまるで自分の活躍を読め、とばかりにいいふらしているのを知ってさらに呆れた。勿論でてくるのは不名誉なことばかりだが、何故か笑っている。 今回の個展ではカタログを作るので、出品作をもう決めなくてはならない。

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