明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



先日、某所担当者が一年以内に移動になる可能性があると聞いた。撮影するなら急いだ方が良いという。写真の最大の欠点は無い物は撮れないことである。ジャズ・ブルースシリーズの頃は合成はやっていなかったので、無ければ作るしかなく、草生えた地面など作った。作家シリーズでも、乱歩用の屋根裏を作った。ニジンスキーを手掛けた時は薔薇の精の舞台を作って大ジャンプを再現してみたい、と思ったが、私には致命的な欠陥があった。ぶきっちょで、ノコギリ1つ真っ直ぐに切れない。よく細かいところまで作って、とさぞかし手先が器用と思われるが嘘八百である。不器用な人間が不器用に作って完成させる、それが自動的に隠し味となって、見る人に、なんらかの印象を与えているはずだ、との思惑もある。そう思わないとやっていられない。ジャズ・ブルースシリーズを止めた理由の5割は楽器を作りたくなかったからである。リコーイメージングの個展で、合成していなかった時代、すでにしていた時代、両方を比較することができた。手持ちでの一発撮りは、構図が大胆で、じっくり手掛ける合成作品とはあきらかに違った。であるなら、それを踏まえ、手持ち撮影かのような制作もやれないことはない、と会場で考えたが、それでは写真という行為の模倣ということであり、そんなことは単に小手先の小細工だと思い直した。自分で作った陰影を自ら消すという大リーグボール3号?に至った私がすることではない。自ら作った陰影を自ら消すことがどういうことかは、私にしか解らないことだろう。被写体を作る人、撮影する人が別には絶対に無い二刀流ならではの葛藤がある。その一人身をよじる葛藤がまた隠し味となって。 新HP
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2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtube


本日25日発行
『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載10回『劇場の永井荷風』


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