明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



昨日たまたま拙著『貝の穴に河童の居る事』(風涛社)に、巨大魚イシナギを漁を終え村に丸太にぶら下げ帰る途中に河童と出会い、驚いて逃げてしまう漁師役をやってもらった一人と会った。撮影以来5年ぶりである。その後会うことができずじまいであった。物語の冒頭、発端となる重要な役どころである。赤ふんどしの二人ということで、だったら様になるだろう、と深川の神輿担ぎを紹介してもらおうと、知人のつてで会ったのが彼であったが、一目観るなり彼が良い、と即決。相棒は実際の彼の相棒にお願いした。 撮影はマンションの駐車場。ここに神社の石段があり、そこを見上げて、とか、ここにイシナギが横たわっていて、とか、ほとんど怪獣映画のブルーバック撮影のようであった。後日、少々寒くなっていたが、仕事終わってからもう一度集まってもらい、“今見た奴はいったいなんだべ”みたいなシーンを撮った。友人同士、見つめ合いながらの演技は笑ってしまうので別々に撮った。おそらく完成作を見て、もっとも驚いたのが漁師役の二人だったろう。人形は動いて演技できないので、その分、素人劇団の方々に動いてもらった訳である。思い出すに楽しい日々てあった。アマゾンその他で入手可能だが、近々当HPからも入手可能にする予定である。谷崎もので婦人役をお願いしていた方から了解の旨メールを頂いた。新HP
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2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtube



『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載10回『劇場の永井荷風』


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現在当ブログと同じタイトルで書かせていただいている『タウン誌深川』が読売新聞で紹介された。40周年。私は一応人形制作者という立場で書いているので、近所の酔っ払いの話などにはなるべく触れずにと心がけている。この辺りで深川に縁のある人物も良いだろう。となると、私が手掛けたなかでは、泉鏡花であろう。何しろ“深川もの”と称される一連の作品がある。私は鏡花がイメージで作り上げる書斎派だと思い込んでいたら『貝の穴に河童の居る事』(風涛社)を手掛けた時判明したが、舞台となった房総の神社に立ったら、書いてある通り、律儀なくらいそのままで驚いた。狭い神社の石段の上で白いモヤのような鏡花とすれちがった気がしたくらいである。そう思うと深川ものを検証すれば、かつての深川がリアルに立ちのぼってくるに違いない。いやすでにそんなアプローチをした研究者がいるのではないか。そういえば昔読んだ鏡花作品で、門前仲町から洲崎辺りに船で男が遊びに行くシーンがあり、窓の下に流れる川を鏡花が間違いなく船で通過したのだと思って興奮したが、次号はその辺の話でも書こうかと思う。編集部のすぐ近くが舞台だし。熱は下がったが、まだ腹具合がもう1つである。新HP
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『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載10回『劇場の永井荷風』



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先日バソコンの脇の窓を開けたまま朝まで寝てしまって風邪をひいた。喉から始まる風邪は熱はでないが長引き、一通り経ないと治らないが、寒気から始まる風邪は、第一波がきた時点で、近所の陳健一の麻婆豆腐を食べれば、ほぼ百パーセント治るので、何年も避けられていたのだが、寝ていたので二波三波に気付かず、目が覚めたら熱が出ていた。乗っていた船のスクリューに何かが絡まってしまい、じゃんけんで負けた私がそれを外しに行くことになる、という夢を見た。非常に重い潜水服を着ることになったのだが、それは潜水服ではなく、西洋の甲冑ではないか。それを周囲に伝えようとするのだが声がでない。私が嫌がってシタバタしていると「じゃんけんで負けたんだからしかたないだろ」。と周囲の人間は呑気なことをいっている。『そうか、こんな目に会うから一年で二回も個展をやったのか!』海につけられたとたん、当然海水が入ってくる。何かを蹴飛ばし痛さで目が覚めた。 新HP
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本日25日発行
『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載10回『劇場の永井荷風』



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先日、某所担当者が一年以内に移動になる可能性があると聞いた。撮影するなら急いだ方が良いという。写真の最大の欠点は無い物は撮れないことである。ジャズ・ブルースシリーズの頃は合成はやっていなかったので、無ければ作るしかなく、草生えた地面など作った。作家シリーズでも、乱歩用の屋根裏を作った。ニジンスキーを手掛けた時は薔薇の精の舞台を作って大ジャンプを再現してみたい、と思ったが、私には致命的な欠陥があった。ぶきっちょで、ノコギリ1つ真っ直ぐに切れない。よく細かいところまで作って、とさぞかし手先が器用と思われるが嘘八百である。不器用な人間が不器用に作って完成させる、それが自動的に隠し味となって、見る人に、なんらかの印象を与えているはずだ、との思惑もある。そう思わないとやっていられない。ジャズ・ブルースシリーズを止めた理由の5割は楽器を作りたくなかったからである。リコーイメージングの個展で、合成していなかった時代、すでにしていた時代、両方を比較することができた。手持ちでの一発撮りは、構図が大胆で、じっくり手掛ける合成作品とはあきらかに違った。であるなら、それを踏まえ、手持ち撮影かのような制作もやれないことはない、と会場で考えたが、それでは写真という行為の模倣ということであり、そんなことは単に小手先の小細工だと思い直した。自分で作った陰影を自ら消すという大リーグボール3号?に至った私がすることではない。自ら作った陰影を自ら消すことがどういうことかは、私にしか解らないことだろう。被写体を作る人、撮影する人が別には絶対に無い二刀流ならではの葛藤がある。その一人身をよじる葛藤がまた隠し味となって。 新HP
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会期中、ようやく涼しくなったのが最終日、しかも雨。 今日は眠気覚ましにコーヒーを何杯も飲んでやろう、と家を出た。15年のハスノハナでのオイルプリントによる『ピクトリアリズム展Ⅱ』。 16年の深川江戸資料館『深川の人形作家石塚公昭の世界』は私としては規模が大きく、展示できるだけの人形作品30体くらいと二メートルの大プリント。朗読とスライド上映というイベントも披露できた。そして今年6月の陰影を排除した、日本的ピクトリアリズムの試みは銀座青木画廊。今回はそれらの穴を埋めるかのような時代の、モノクロ写真を中心にした作品44点を展示した。まるで死期が迫ってまとめに入っているかの如き展開である。さらに二十代の初個展からの、架空の黒人ミュージシャンによる個展を、という話まで来ている。一体誰が絵図を描いているんだ、という話だが、さすがに熟考を要する。しかし、先日書いたように目の前にぶら下がった物にかじりついてきただけなので、この辺りで客観的に眺めて見ろということなのであろう。 今回は処女出版の披露会のおり、一言も発せず終わった私が、その時、招待席におられた東雅夫さんとトークショーをすることに。控え室では、お客を路傍の石と思い込む作戦を密かに立てたのだが、ドアを開けたら最前列が近過ぎ失敗に終わった。参加された方に今日伺ったが「そんなこといってましたか?」飲酒してもいないのに、何をいったか覚えていないという。夢遊病者の感覚を味わうチャンスであったが、録音機が電池切れで録音できなかったそうである。こんなにコーヒーを飲んだのは生まれて始めてだが、コーヒーで眠気が覚めることはまったくないことも判った。エスプレッソマシンのようなイビキをかいてしまった。 それはともかく。連日の猛暑の中、お運びいただいた皆様感謝いたします。

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久しぶりに三脚も立てず、人形もカメラも手持ちで、現場の光で撮る『名月赤城山撮法』作品を見ていて、最近始めた手法、カメラに三脚、陰影を排除し、被写体をバラバラに撮影し、配する日本画調ピクトリアリズム法は、20年かけて、まるでネガ・ポジのような見事なくらい真反対の手法に至ったのだな、と思った。行き当たりばったりのつもりが、良くできた話である。光と影の扱いについて、矛盾を良しとせず、昨年無理をして判った。どちらも私である。この全く違う手法を並列に並べての個展をいずれ開くことになるだろう。共通するのは被写体だけ。 猛暑には参ったが、一月ちょっとという開催のおかげで三回も来てくれた方々もいた。本日も自分の趣味にラインナップがドンピシャだという方がみえたが、そういう方は決まって女性である。 地元に帰るとアクセサリーを作る18からの友人から門前仲町のスナックに呼び出される。くたびれて、普通はいかないが、谷崎潤一郎作品に出てもらえたらと考えていた女性と一緒だというので出かけ騒音の中、どんなことをしたいか説明する。考えてみると、中学の時に夢中になったのが乱歩と谷崎であったが、谷崎はイメージとして作っただけで、具体的な小説をテーマに作ったことがあまりない。これが心残りであった。引き受けてもらえるかは後日。あと二人はなんとかしたいところなのだが。 リコーイメージングの個展は明日最終日である。注意頂きたいのは4時終了ということである。今日は毎回来てくれる元気なおばあさんに色々質問され楽しかった。明日はできるだけお答えしようと思っている。それにしても最終日前日、しばらくぶりに窓を閉めて寝るという皮肉。

石塚公昭幻想写真展-生き続ける作家たち- 2018年7月25日(水)~9月2日(日)
森鴎外 夏目漱石 樋口一葉 永井荷風 江戸川乱歩 谷崎潤一郎宮沢賢治 村山槐多 稲垣足穂 太宰治 松本清張 中井英夫 三島由紀夫 澁澤龍彦 寺山修司 
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