明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



一昨年、谷中の全生庵の円朝祭りの際に、円朝旧蔵の幽霊画と共に私の円朝像を展示いただいた。円山応挙他の大家等と、また百年ぶりに見つかった鏑木清方作のお菊さんが追加展示されたのは、清方作の円朝像が、残された写真と異なって見えることに、惑わされ創作とは何かを学んだ私に対する清方からの褒美だったのは間違いがない。さらに円朝像を持参した際に、全生庵が中国の寒山寺と同じ臨済宗の禅寺であることで、すでに『寒山拾得』が喉元まで出かかっていた私は搬出の際に、「いずれ寒山拾得をやります」。と口走っていた。こういった偶然に意味を感じる私は、これは作れということだ、とかつての東洋の魔女の如くに必ず拾うことにしている。そういう意味では、三島由紀夫が作中、または言及したことがある死に方で死んでいるオマージュ展の会場を探していたら、直前に紹介されたビルの持ち主の先代が、三島が事件当日、市ヶ谷に持参した刀を三島に進呈し、現社長が切腹の作法を伝授したことを知った時は、この展覧は祝福されている、と確信したのは無理のないことである。しかし昨日書いた理由により大空振りとなった。もっともこれには予兆があった。前年、そのビルと三島との縁など知らず会場を見、担当者と会ったのだが、三島との関係を知り、すぐに担当者と連絡を取るはずが、そこに大震災が起こり、主な収入がビルに掲げた何とかビジョンという広告搭で、電力事情により存続さえ危ぶまれる、ということになり、再び担当者に打診できたのは一年後であった。そこでまさかの何をやっても良いが、三島だけはNGという結果に。 ところで『寒山拾得』の背景に使わせてもらいたい物があり、仲介をお願いしたい方に話したら、許可をもらうまでもなく先方にいっておく、とのことであった。小さい人形を作る私には、拡大可能という写真は大きなメリットになる。撮らせていただく物も、わざわざ小さくした物を拡大して使おうというのだから、持ち主も驚くに違いない。
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『石塚公昭 幻想写真展 生き続ける作家たち』 2018年7/25~9/2 リコーシメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutube
2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtube



『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載10回『劇場の永井荷風』 >

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