明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

寿命  


十時に不動産屋に行き、契約を済ませる。地図上はともかく、実際は、不動産屋の車で一度行ったきりなので、引っ越し先に独力で行ってみようと考えたが、行ってもまだ入れないし、うろうろして、くたびれるだけ、という可能性が高く止めた。昼食を取り図書館へ。。 近いウチに制作に関係無い本は処分するつもりである。最晩年、永井荷風、谷崎潤一郎、三島由紀夫、江戸川乱歩の全集を並べ、読みながら、折り返し辺りで死んでいる、なんて能天気で都合の良い事を事を昔は考えていたが、まさか、これほど生臭いままとは思っても見なかった。それもまだ寿命があるだろう、と高をくくっているからではないか。知り合いが先日の京急電車衝突事故の車両に乗っていたと知り、ますますそう思った。想定する寿命を短めに考えておかないと、私など無駄なことに時間を割いてしまうだろう。

タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第16回『トラウマ』

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『石塚公昭 幻想写真展き続ける作家た18年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutubeこ2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界



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太宰治が、各地に転々と残している”川 ぞひの路をのぼれば~という短歌がある。自分が制作した人物の短冊を処分して後悔したことは書いたが、ならば太宰は手元に置いておくことにする。 詩歌の類を解さず、僅かに陶芸家の河井寛次郎や画家の村山槐多の詩を面白く読んだ程度である。歌の歌詞も異常なくらい覚えられないのも、何か理由があるのかもしれない。それはともかく。 小学校も4年生にもなると、買って貰う本は、活字も小さくないと嫌だし、挿絵も子供向けの物は拒否し、リアルでないと見向もしなかったのだが、その頃の一冊に一休禅師があった。衝撃を受けたのが、“門松は冥土の旅の一里塚目出度くもあり、目出度くもなし”という狂歌であった。竹竿にシャレコウベを挿して歩く一休の挿絵があり、本当だ、目出度くもあり、目出度くもない!何々であり何々でない、ということが在るのを初めて知ったのではなかったか。お隣の家で鉄腕アトムを観ていて、お膳の上の味の素に、これを入れて美味しくなるなら、これ自体相当美味しい物に違いないと掌に一センチ程乗せて、目はアトムのまま口に放り込んだ。一プラス一が二ではないのだ、という衝撃は、そのもっと前だったろう。どういう訳だか、こんなどうでも良い事や、初めて何かを食べた時の事は、シチュエーションを含めて無駄に良く覚えているのであった。

タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第16回『トラウマ』

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いつか書いた記憶があるが、私が今まで作って来た人物を、ビートルズのサージャントペパーズのジャケットのように並べた一作を作って見たぃ、と。そして作る度に足して行く。それを書いたのは16年の『深川の人形作家石塚公昭の世界』の前だったろう。それは、その時点で、出品出来る作品をすべて展示しようと、会期が始まっているのに、写る部分しか作っていなかった作品は控え室で制作を続ける、と言う有様であった。 一同が同じ場所に集ったように見せるには、各自に同じ条件の光現場に集使っを当てる必要があるので、またとないチャンスのはずであった。ところがバタバタしていてすっかり忘れてしまった。この企画はもう実現はしないだろう。そう思っていたが、金魚坂で飯沢耕太郎さんに、その話をしている最中に、『あれ?陰影がない手法なら陰影がない、という同じ条件なので、集合場所の光の具合を案配する必要がないじゃないか。』どちらを向いているかはともかく、撮影済みの作品も次々合成することが出来る訳である。ジャズ・ブルース時代の作品はほとんど手元に無いから無理であるが、陰影の無い手法で撮り直して行けば構わない事になる。今後、制作のたび、最後に集合写真を意識したカットを撮影することにしよう。そしてこれは、私が制作を止めるまで続く事になるはずである。

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直筆  


最近書に関する興味が再燃している。前に三島を制作している時、ニニ六事件関連の、主に陸軍の皇道派の軍人の書が集まった。それを飾ってどうしよう、と言う訳ではなく、人の書いた歴史書よりも、本当にこんな事があったんだ、と言う意味では、当事者が、例えば真崎甚三郎や荒木貞夫、山下泰文、香椎浩平などの書は、リアルに迫るものがあった。軍人は達筆が多い。 最近は江戸川乱歩の短冊を入手して以来、作家の書を見る機会が増えたが、軍人と違い、個性的である。室生犀星などは、素人目に見ても達筆とは言い難いが、なかなか味があり好ましい。実際は漢文他、何が書いてあるか判らない物がほとんどであるが、何を歌っているのかさっぱり解らない洋楽を平気で聴いているのだから、見て某か感じるのであれば気にする事はないだろう。 昨年さる所から入手した物をまさか本物とは思わず、某所に持っていったら、値段が付いて驚いて手放してしまった。本物だとしたら物凄く安かった事になる。せめて私が制作した人物の書は手放すべきではなかった、と後悔した。 作った作家ではないが、林芙美子の“硯冷えて銭もなき冬の日暮れかな”の短冊は気にいったので、引っ越し先に持って行こうと思っている。これから冬に向かい、余り縁起が良いとは言えないが、活字と違って直筆の文字からは、存外侘しさは感じられない。詩歌音痴の私にも直筆文の効果は大きいようである。

 

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母退院の前日、見舞いに行く。相変わらず言いたい事を言っている。我が母は他人の意見には、すぐ従う癖に息子のいう事は聞かない。前回は、職員の誰かに化粧をして貰って現れたが、別の職員に化粧しない方が良いと一言言われ止めた。息子が気を使って何も言わずにいたのに。 今まで十数回引っ越ししてきたが、三十年も一所にいると、何をしていいか、すっかり忘れている。ああどうしたら良いか。こんな時、つい傍らの粘土に手が行ってしまうのだが、それを避けるため、相変わらす粘土は入手せずに居る。作りたければやらなくてはならない事をやれ、という話しである。関係者全員がそう思っているのがテレパシーで痛い程伝わってくるので、先に言っておく。来週には、引っ越し業者に見積もりに来て貰う。出来れば、その前に古本買い取り業者に来て貰うつもりである。制作に関する物以外は、出来るだけ処分する。様々な見直し、立て直しをする最後の機会ではないだろうか。昔、小学校のクラス会に出たら、ただ拡大しただけといわれ、すでに私として完成の域にあった事を思うと、そうは問屋がおろすのか疑問ではあるが、心を入れ替えて、と言わないと各方面からのテレパシーに苛まれることになりそうである。

タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第16回『トラウマ』

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