欅一枚板を使った文机、置き床、ちゃぶ台、柱時計、撮影に使った行灯などを残してみると、随分爺い地味てしまったが、実際爺いなのだから仕方がない。椅子の生活に慣れてしまうと、畳からの立ったり座ったりがきつい。かつての母は家族全員の、重い寝具を毎朝出し入れしていたのだな、と改めて思う。 サッシやエアコンは仕方ないとして、どうせなら掃除機でなく、箒にしてみたい。澁澤龍彦は掃除機が嫌いで、腹立ててコードを挟みで切ったらしい。 子供の頃、お茶の出がらしを畳に撒いて箒で掃き出したが、小学生の私が寝転がって本を読んでいると、お茶がらを掃きながら、母が「邪魔だから、あっちにいってなさい。」しかし本を読んだまま、ゴロゴロと回転して移動するものだからまた母をキーキー言わせた。ちぎつて濡らした新聞紙でもやっていた。 明日は旧居の最後の発掘作業である。今日は陶器で作った、ギターを弾く男が出て来た。おそらく遊びで作った二体目ではないか。毎日作っていると、ここまで変わるか、と記念に取っておくか、なかった事にして捨てるべきか。
タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第16回『トラウマ』