明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



私が最も気を付けるべきことは、何といっても『虎渓三笑』の教訓である。一つことに夢中になり、客観性を失うことである。この三人のように、笑っていられる分には良いけれど。それを避けるために、備忘として、事あるごとに記すことにする。 本日も、あれをどうしよう、どう作るべきか、と考えながら目が覚め、良ーく考えたら、そんな物はなかった、という個展を前にしての、お馴染みの現象がいつもより大分早く始まった。在りもしない作品について思い悩みながら目が覚める。実に無駄なことである。それもこれも作品数の多さのせいである。
未仕上げ乾燥済み 臨済義玄 陶淵明 陸修静 達磨大師。  
頭部のみ完成 蝦蟇仙人 鉄拐仙人 豊干 琴高仙人 慧遠法師。
修正中 寒山 拾得
新たに作るべき頭部 慧可
新たなモチーフ 真正面を向く達磨大師
※これらをすべて乾燥まで持って行くまでは、決して新たなモチーフを思い付いてはならない。思い付いても、粘土に手を出してはならない。


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粘土  


アマゾンで安い所に粘土を注文したら、待たされた挙げ句に注文不可。ショップが潰れたのか。改めて注文した。これは想像だが、アル中患者が酒屋から酒が届いたのを眺める時、こんな気分ではないだろうか。二年前の引っ越しの片付けをしている時、粘土を注文してしまうと、片付け嫌さに、制作に逃げることは判っていたので我慢した。こんな時に作れば、必ず良い物が出来るのだが、と禁断症状に苛まれた。良い物が出来るのは間違いない。良い物が出来なければ、ただ罪悪感だけが残る。逆にいえば罪悪感を払拭する術を持っている、といえなくもないが、鎮痛剤で痛みが消えたところで虫歯は治らないのであった。 教えを請うため左腕を切り落とし覚悟を見せるを振り返る達磨だけでなく、真正面向いた達磨大師を作ろうと思ったが、見返り達磨は、衣を頭から被っていないが、正面の達磨は被せたい。撮影してからでないと首を入れ替えて作ることが出来ない。陶淵明乾燥へ。


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臨済宗宗祖臨済議玄、『慧可断臂図』の達磨大師、『虎渓三笑』の陸修静、陶淵明それぞれ作りっ放して乾燥するに任せている。それは良いのだが、こうしてラインナップを並べて見ると、どうも何だか居心地が悪い。このラインナップとバランスを取るには頭に三本脚のガマガエルを乗せた蝦蟇仙人くらいでないと効き目はないかもしれない。そうこうして予定になかった達磨大師の正面像を造りたくなって来た。 ”考えるな感じろ“も良いが、何事も夢中になり過ぎてはいけない、と『虎渓三笑』のエピソードが示している。我が母が幼い私に対して最も心配していたのはこの点だったろう。今回は初めてのモチーフでもあり、いつもと大分勝手が違う。スケジュール、ペース配分その他、今のうちから考えなければならない。 と、もっともらしいことを書いてみたが。改めて考えてみると、このモチーフ自体が、そして作り始めて数体で、すでにやり過ぎているのではないか?今回制作していていつになく楽しいのは、何かしらやり過ぎているからかもしれない。


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陶淵明制作再開。『虎渓三笑図』は、先日書いたように、三人制作するので2カットはものにしたい。被写体も作るので、1カットで済ませたくない。被写体制作と撮影の二刀流なので、こう撮ろう、と考えながら作るので、写らない部分は冷酷なくらい作らない。ほんの少し、首の可動域を増やし、それで首の角度の違いで違う表情を抽する。 これは写らないから、展示をしないから、効率を考えて無駄を省いているといえばそうなのだが、360度作ったものと、撮影の効果だけを考えて作った被写体とは、実は違いが出る。これは二種類を撮り、ファインダーで比較でもしないと判らないだろう。誰の参考にもならない話なので、このぐらいにしておく。まあまんざら横着しているだけではない、といっておきたい。そう思うと、大谷は当然ピッチャーのことを知っているバッター、バッターのことを知ってるピッチャーなのは当然だろうと思う。

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近々動物園に虎の撮影に行こうと考えている。曇天の日に撮影することになるが、コロナのせいて予約制なのが困る。 動物園では何度か撮影した。初出版の乱歩本のため『目羅博士の不思議な犯罪』の一カットに、ニホンザルを撮影した。次は『貝の穴に河童の居る事』用にミミズクを撮りに行ったが、檻が邪魔だな、と思ったら、ごく近所に猛禽類カフェが出来て事なきを得た。むしろどうやって撮ろうと思っていたカラスが、入場者の食べ残しを狙って沢山いて助かった。次は世界初の推理小説、エドガー・アラン・ポーの『モルグ街の殺人事件』のためにオランウータンを撮りに行った。映画、挿し絵その他、どういう訳かチンパンジー、ゴリラなどで代用されてきたのが不思議でならない。この時は森の賢者たる大人し気なオランウータンに、残忍な殺人犯にさせて少々心苦しかったが、実は怪力で獲物を引き裂き齧り付く補食者の一面を持つことを後で知った。


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陶淵明は小学三年の時、私があまりに伝記、偉人伝の類を読みまくっていたので、担任の田中先生が転任の際に世界偉人伝をポケットマネーで買っていただいた。一人一ページで線描ではあったが、それぞれの肖像が載っていて、肝心なのは、すべて由来のある肖像画を元にしていた。その気遣いが、幼い私に栄養を与えている。子供扱いした挿絵と、大きな活字は四年生からは拒否した。おかげで出会ったのが『一休禅師』に載っていた一休の”本当の顔“である。 『虎渓三笑図』の慧遠法師と陸修静は、検索しても特に決定版といえる肖像はなさそうなので創作したが、陶淵明は、田中先生の世界偉人伝で記憶がある。あるからには勝手なことは出来ない。ただ陶淵明と李白の区別がつかず、検索してみると、まあどっちでも良い。実在者の場合、写真資料が潤沢なほど厄介なこともある。そういう意味では作家シリーズは私にとって修行の如き物であり、年季が開けて出会ったのが現在のモチーフという感じがする。

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廬山に住む慧遠法師は、三十年は山を下りずに修行しようと決めていたが、陶淵明と陸修静が訪れ、帰りに慧遠法師は、二人を送ったていくが話に夢中になって超えないことにしていた虎渓を過ぎてしまい三人で笑ったという故事。山深い中、虎渓に川が流れている。石橋が架かっており、渡りきったところで、うっかりに気付いて笑う三人の男達。いかにも私がそそられそうな話である。さらに決め手になったのは、三人が渡ってしまうに相応しい中国風石橋に心当たりがあった。小学校の学芸会で大国主命が我慢比べをし、我慢できずに野糞をしてしまう、という紙芝居をやったが、人間の趣味という物は簡単には変わらないようである。 陸修静乾燥に入る。続いて二人目は陶淵明にする予定。なんで私は陶淵明を作っているのか?なんて考えなければ上手く行くだろう。


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臨済宗の寺はそこら中にあるというのに一千年以上前の宗祖、臨済義玄像は、立体どころか絵画作品も少ない。そういえば本場中国はSNSなど規正がある。検索したって出てくる訳がないな、と中国のエンジンで検索してみた。ドドドッと出てくるかと思いきや、意外な物は一つもない。がっかりした。『虎渓三笑』は知らない作品、現代のイラストなど出てきたが、驚いたのが『慧可断臂図』である。雪舟作と達磨の向きが同じ、中国語なので、いつの誰の作品か判らないが、これが国宝雪舟作品の元なのか?拡大が出来きないが、引きの絵なので、積雪や洞穴の様子はこちらの方が良く判る。 ところがドラマがあり、慧可が腕を切る場面もあった。悪党と達磨がカンフーで戦うシーンに唖然。火の着いた矢が達磨に刺さり、僧侶の焼身自殺のように燃え上がる。それを輪になって祈る僧侶達。ここで映像が止まってしまった。まあこの先を見るまでもないだろう。そういえばここは少林寺であった。

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豊干の乗る虎は動物園の虎にすることに大分傾いている。数年前にトラ猫を虎に変えて、虎を見たことがなかった日本人絵師の味を出そうとしたが、自分の飼い猫ならともかく、マタタビを使っても思うようにならず、虎を撮った方が良さそうである。特に豊干、虎、寒山、拾得が寄り添って眠る『四睡図』の虎は、ぐうたらしている動物園の虎が良いだろう。上に乗る豊干は、虎を先に撮り、それに合わせて造形しなくてはならない。豊干は描かれ方は様々だが、普段から虎に乗っているだけに破天荒な禅師である。左肩剥き出しで、法衣というより布をまとって杖をついている、そんなイメージにしたい。 『虎渓三笑図』の陸修静、明日より制作開始。写るところしか作らないとはいえ三人も作るので、2カットはものにしたい。被写体制作と撮影の二刀流だからそうなる。 それにしても大谷翔平、筋肉が柔らかいとは聞いていたが、特別な筋肉の持ち主なのだろう。江戸川乱歩なら、実は一卵性双生児だった、なんてオチをつけそうだが。それでも凄いけれども。



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被写体から陰影を排除する石塚式ピクトリアリズムは、私の人形の作風との組み合わせで、たまたま偶然だが、日本画調になった。それに乗じてピクトリアリズム(絵画主義)などといっている。元々の本家ヨーロッパ発祥のピクトリアリズムは、手本は印象派の絵画であった。 しかしやってみて判ったことは”現世は夢、夜の夢こそまこと“といった乱歩チルドレンの私であり、自分の外側にレンズを向けず、眉間にレンズを向ける念写が理想、といいながら、夜の夢であるはずのイメージに、自分の外側の、現世の陰影を与え続けて来たことであった。 葛飾北斎は最晩年、私とは逆に陰影、遠近法など西洋の絵画技法を取り入れようとしたが志半ばで亡くなった。 そう思うと私がやろうとしていることは、西洋の宣教師に履かされていたパンツを脱ごうとする試みのように思えてくる。ここまで西洋離れしたモチーフならパンツの跡も残らないだろう。


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曽我蛇足の臨済義玄像自体が、先達の写しかもしれないが、蛇足作が元になっているであろう、長谷川等伯の義玄像の存在を知り没後400年長谷川等伯展の図録を入手した。すると等伯の義玄像は、その時点で新発見だったそうである。しかし蛇足作と比べると、迫力その他及ばず、似て非なる物で、等伯作品を改めて見てなかなか良いだけに、ホントに等伯作?といいたくなった。最初に見た臨済義玄がこれであれば作る気にはならなかった。 この時期、被写体の数を増やしておきたい。写るところしか作らない作品の中から『虎渓三笑図』を選ぶ。長いこと作って来て笑っている人物は四体くらいしか作ったことがないが、ここで一挙に三人を。慧遠法師(えおん)が仏教、陶淵明(とうえんめい)が儒教、陸修静(りくしゅうせい)が道教。儒仏道の三教一体を表す故事。まずは笑う陸修静を作ることにした。

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普段ぐずぐずのんびりしているくせに、作ることとなるとせっかちに変身してしまう。急ぐ訳でもなし、今の季節、放っておけば乾いてしまうが、達磨大師は写るところしか作っていないし、座禅のし過ぎで手足がないので、金属の芯も使っていないので、頭を引っこ抜き、レンジでチンする。 長らく続けた作家シリーズは、その殆どが明治、大正生まれの作家であった。しかし最近は妄想の中で、数百年前の禅僧や絵師とばかり対話を重ねている。雪舟は中国に渡り、絵画で見ていた景色がそのままで驚いたらしい。確かに写真、映像で見ても、中国の水墨画そのまんまである。相当写生して帰国したようだが、そう思うと『慧可断臂図:』の背景の奇岩に成果が表れている気がする。奇妙な穴は海底にあった岩が隆起したかのようでもある。先日見付けた慧可の腕の切断面にごく細い面相筆による、隠しポイントのような朱を入れている雪舟の姿は、私の頭の中にありありと生々しく再現されている。 

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達磨大師は乾燥に入った。達磨像の展示の予定はないし、一カットしか考えていないので、写るところしか作らない。開けもしない、タンスの中身にまでこだわった小津安二郎とは違う。それにこちらは自分で作らなければならない。 慧可の制作については間を置きたい。達磨に己の腕を切り落として差し出し、覚悟を示す場面である。雪舟描くところの慧可の表情は哀し気で、今にも泣きそうである。国宝に対して申し訳ないけれど納得が出来ない。まなじりを決した表情をしているべきではないか?西洋の古典絵画なら恍惚としているところかもしれない。そしてその慧可の覚悟の気配に思わず振り向く達磨大師。私のイメージはそんなところである。 考えなくてはならないとすれば、達磨は右に振り向かせた。となると慧可は、雪舟とは逆に左向きが良さそうである。となると切断した左腕が手前に来る。血痕の処理を含めてどうすれば良いのか。 モチーフは超俗の世界である。こんな時悩んでいるフリして内心恍惚としている私であった。


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水墨画の白といえば紙の色だが、絹布に描かれるようになると、そのくすんだ色から白い顔料が使われるようになる。雪舟の『慧可断臂図』の達磨大師はお馴染みの赤ではなく白い衣を着ているが、他に白い顔料は使われていないので、実は積雪の場面とは知らなかった。足で涙で描いた鼠が生きているように見えた雪舟も、ただの地面にしか見えない。 慧可が手にする切断した腕は、まるで家で血抜き処理をして来たかのように、血の滴りもない。お土産物じゃあるまいし。覚悟を表すという意味では、アウトレイジで中野英夫が指を噛み切ったように、その場で切断した、という話ではないかと思う。しかしそこが西洋的表現ではなく、あからさまには描かないのであろう。ところがよく見ると、切断面に薄っすらと赤い色が引かれている気がした。手持ちの図版では虫眼鏡で見ても判然としない。図書館で大きめの図版で見ると、僅かに赤が引かれていた。これは気が付くことはなかなかできない。私の場合はもう少し血を表現し、それに対応させ、達磨大師の衣も赤色にすることに決めた。

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