明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



達磨大師は乾燥に入った。達磨像の展示の予定はないし、一カットしか考えていないので、写るところしか作らない。開けもしない、タンスの中身にまでこだわった小津安二郎とは違う。それにこちらは自分で作らなければならない。 慧可の制作については間を置きたい。達磨に己の腕を切り落として差し出し、覚悟を示す場面である。雪舟描くところの慧可の表情は哀し気で、今にも泣きそうである。国宝に対して申し訳ないけれど納得が出来ない。まなじりを決した表情をしているべきではないか?西洋の古典絵画なら恍惚としているところかもしれない。そしてその慧可の覚悟の気配に思わず振り向く達磨大師。私のイメージはそんなところである。 考えなくてはならないとすれば、達磨は右に振り向かせた。となると慧可は、雪舟とは逆に左向きが良さそうである。となると切断した左腕が手前に来る。血痕の処理を含めてどうすれば良いのか。 モチーフは超俗の世界である。こんな時悩んでいるフリして内心恍惚としている私であった。


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