安倍内閣の支持率が一気に低下し、なんとなく継続も危ういような雰囲気に
なっています。
夕飯のときにテレビを見ていた息子がひところ「何かをした人ほど、反対もはげしくなるんだよな」。
みんな今のままでは駄目だとぶつくさ言い、誰かが何とかしてくれると思っていて、それでいて、現実に変化を起こす者が現れると、反対する。
平穏は平らで穏やか、変化は変って新たになっていくわけですから、そこには当然に何らかの摩擦が生じるわけです。
不思議な事に誰しもが自分の利益を第一に考え、しかしながらその利益そのものを考えようとはしません。
利益はそこに正義が有るかどうか?、そして次世代への継続性があるかどうか?
単に今の自分を満足させるだけであるなら、自分勝手ではないか?
と私はおもってしまうのですが、間違いでしょうか?
よく解釈する、悪く解釈する、人はそのどちらにもなれますが、私は常に良い方向へ解釈する事を心がけています。
それは親から譲り受けたものですが、今それを二人の子供へ受けつがせています。
ねたみ、やっかみ、うらみは、すべて悪く解釈する事を基点として始まります。
またそれは確実に不幸を誘引しますので、親としては、けしてそういった考え方を許してはならないからです。
というか、気象庁の予報を信じてウインドの予定を変更した私は、今日は映画を見に行く事にしました。
http://www.chiran1945.jp/
俺は君のためにこそ死ににいくという映画。
実はこの知覧にある特攻基地の跡地と、資料館に私は訪れた事があります。
もう20年近い歳月も昔ですが、当時この知覧には米軍の基地がありました。
生意気で青二才だった私は、先輩に連れられて、全国にある基地にエンジニアの卵として訪れてはいろいろと勉強をさせられていました。
ある日仕事が終わりつれていかれたのが、特攻基地後の資料館でした。
初めは笑いながら入り、1時間も私は中にいられませんでした。
理由は簡単です、あふれ出てくる涙を先輩達に見られたくはなかったのですね。
今思えば、これが何につけてもやらされているという考えから、”やる”に変った瞬間でもありました。
映画を見ているときにも、以前と同じように、私は涙をこらえることが出来ませんでした。
誰も望んで行ったのではない、故に彼らの意思を受け継がねば、自分自身を粗末にする事になる。
そしてその思いは次世代に伝えていかねばならない・・・
そう私は思うのです。
参考 http://blogs.yahoo.co.jp/bigwavejaws/folder/1486647.html