涙もろくなりました、もちろん突然になったわけではありません。
年を増すごとにそうなったわけで・・・・
ほんの些細な事でも感動し、また涙が出てきます。
「年食って涙腺がゆるくなるからだ」、なんて言う人もいますが、そうではないですね。
年齢と共に様々な経験が積み重なり、それが人の気持ちを深く理解させる。
他人の苦しさや辛さを自分の事のように捕らえ、自分ならどうだろう、
自分ならどうするだろう、という気持ちにさせる。
それが涙もろくさせているわけです。
昨日の夕飯時に息子がこんな事を言ってました。
「人は若い時にこそ苦しみをたくさん経験したほうがよい」とです。
丁度その時、たまたまというか、話の話題になっていたのは、娘の友達の事、そして先生の事、それに対しての世の中の見方等々、同じ出来事に触れたとて、それぞれがまったく同じ考えを持ち得る事など無いこと、また大勢と少数派、其の違いはどこから来るのか? 等の話をしているときでした。
上の子の言葉は、おそらくは娘にむけて放たれた言葉であると思いますが、
それは又同時に、自分に対しての言葉でもあることは間違い有りません。
まだ純粋無垢な娘の思考は時として直線的であり、それはぶつかったり、折れまがったりを繰り返しつつ歩んできた上の子との大きな違いでもあります。
学校でなぜ生徒が大きな問題を起こすのか? なぜ無目的になるのか? なぜ無気力に見える行動をするのか? なぜ激しい反抗をするのか? なぜすぐに切れたり暴力を振るうのか? いくらでも広がっていく???の数々・・・・
大学講義で学ぶ教育論の理想と現実の矛盾を笑い話にして聞かせてくれる息子ですが、彼は上記の疑問点に対する答えをほとんど知りつくしているのではないか? 親バカな私にはそう思えます。
彼がもし運良く教壇に立てたのなら、もし深い問題を抱えた生徒に出会ったならどう立ち向かうのだろうか・・・・
まじめだけがとりえの様だった私なんぞが持ち得ない、彼のもっている多くの経験は、閉ざされた心を自然に開かせてくれるのではないだろうか・・・