年末も近ずいてきて、世の中全体が冬休みへ入ります。
私も多分にもれずに休みとなるわけですが、そこはじっとしていられない性格ということで、「休みが多けりゃバイトだぜ!」という感じ。
ただ、さすがに年齢が44ともなると、おいそれと雇ってくれなくなってきています。
結構探しますがなかなか難しく、とりあえずは22、23日を確保、25日は夜20時から23時までのを確保、あと空いているのは28日から31日までですが、当てにしていたところはNGになってしましたので、もっか捜索中?
いよいよ無きゃ、これまで何度もお世話になっていたところに頼んで年末コンサートのステージつくりで鉄骨かつぎするべ・・・(^^;)
昨日、「バイトが無いなー・・・」と、おもわず独り言を言ったところ、傍にいた娘が「なんでアルバイトするの?」と不思議そうに聞いてきます。
まあ、娘にしてみれば、「なんで休みにあえて働きにいくのだろう?」と思うは当たり前なわけですが、こうした際の返事は結構難しいものがあります。
そこで「同じ時間を過ごすなら、無駄に時間を消費すると自分が思った時には、無理しない範囲で働くとダイエットになるし、おまけにお金ももらえるし、得だと思わない?」と答えましたが、子供は結構こうした何気ない時に交わされる言葉や姿を、その後長きにわたって引きずる事があります、自分の記憶を手繰り寄せてもそう感じさせます。
昨日の日記をまた繰り返すようですが、親の姿というのはそれほど大きな物なのだということは実経験から間違い有りません。
一例をあげれば、私の父親が日曜大工をしていた姿は今の私、車のオイルを交換していた姿も今の私という具合ですが、
丁度、娘が小学生だった時様々な理由から生活がどん底の時で、無駄と贅沢を極力無くす生活をしていた時期でもありますが、今考えるとそれがさまざまな面で娘に良い影響をしているのがわかります。 人間性はお金とまったく無関係なのだという事は、明確に言い切れます。
厳しい生活の中で、出来るだけ家族と接っする時間をもつ為に選んだウインドサーフィン、まずはこれなくして娘がお金で買うことのできない尊い物を実際に知る事は無かったでしょう、息子に関しては高校時代の3年間という月日を私たち親と始終過ごしてくれる事はなかったと思います。
そこにはボロの道具を修理してつかっている私の姿、そしていつも家内の手作り弁当と沸かし麦茶を用意している姿があり。
その味はいかなる物より美味であって、コンビニ弁当やレストランでは得られない何かを子供たちへと伝えてくれました。
こうした経験から思うのは、この国が豊かさと引き換えに失った最大の物は、むかしなら何気ないところに散りばめられていた“普通の小さな心”なのではないか?
そう思えてならないのです。