帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

不安の共有

2007年12月14日 | 研究-教育・育児

さて今年も残すところあと2週間とちょっと、昨年は息子の大学受験やらなにやらと
忙しくて、あっという間に終わったのですが。
今年はいつもと変らないスローペースという感じでしょうか。
毎年この季節になると、一年の思い出が浮かんできますが、平穏に過ごせたことを
感謝しなければならないかと思います。
上の子はすでに親の管轄外で青春を謳歌、我が世の春という感じです。
反抗期で大変な下の娘と言いたいところですが、、ウインドサーフィンというスポーツを通じて海で育ててもらった子でもあるため、忍耐力が私なんぞより強く、すさまじい反抗をするときはあれども、親が本気になって言葉をはっする際には辛抱強く聞いています。
最近私のお下がりの携帯をこの子がもってあるき、どうなることか?と心配したものの、
夜9時になると電源を切るか、それ以降の電話やメールには応じていません。
悪いからと来たメールに即返信していると(日本人のよいところですが)、すぐに寝る時間は過ぎていきます。
ましてや相手が真夜中まで平気で起きていて、メール等よこして来ることもありますが、
そんなのに引きつられて応信などしていれば、そのまま朝が来ます。
友人の話では、気付いたときにはクラスの大半がメール病の居眠りクラスになっていることもあるとか・・・・
これ、裏を返せば、自分の持つ不安感を即時満たしてくれるメールという手段を使っての連帯感の共有と言うことで、まさに非行の子供たちが持っている心理状態そのままなのですね。
こうした流れに飲まれないようにするには、家庭における自分の強さというものが何より必要と言うことで。
幼い頃からキチンと“叱り”、褒めることで、親との心の戦いを通じてくればいくら親に反抗したとてけして揺らぐことのない親の愛情という者を知っているために有る程度以上の
不安共有を行うことはない。 言い換えるならそうした絶対的な親の信頼というバックがあってこそ、思いっきり反抗も出来るわけで、
そ信じる心と自分の行動に対する自分自身の不安、それを家庭という枠を飛び越して他人と共有して傷をなめあう弱さにするか、立ち向かう勇気にするか?
その基礎は、すべて幼少期からのちいさな日常にあると私は考えています。