昨日は 嫁さんがいきなりの発熱。
結構熱があって、見ているだけで辛そうだ。
一番大変なのは子供の世話なんだけれど、今日はゆっくり休んでもらおうじゃないかと、一日じじばばが面倒を見ることにした。
それでも洗い物等をやろうとするので、寝ることを半強制! 「GO!」(爆笑)
孫の面倒を見るうえで幸いなのは普段から同居していることで、長時間一緒に過ごしても意味不明で泣かれたりという事がない点。
朝から、ばばとじじがかわりばんこで遊んであげるが、例のごとくまったく昼寝せずに全力活動する物だから結構疲れる。
これを嫁さんは、毎日繰り返しているのだから大変だ・・・・
こちらも同じ事の繰り返しだと飽きるので、いろいろと遊び方を変えたり、新しい物(僕の工具)を持たせたりして相手する。
途中で1度、キッチン下の扉を開けていたずらをしようとした孫がバランスをクズし、下唇のすぐ下を切って流血する出来事が有った。
「およよ」と思うが、この程度の怪我はこちらも関知せず、もちろん普段も嫁さんが大げさにすることがない(孫は始終怪我してます)から、
放って置いて、自分で泣き止むのを黙って待つ。
これは、将来、 自分で、自分のしたことを解決するための最も基礎となる物、それゆえ不必要に親やじじばばが甘やかしてはいかんのですね。
ましてや、大げさにすることは、”なぜ痛い思いをしたか?”ということを考える事(思考能力の発達を)そのものを阻害してしまうため、不必要に介入しないわけです。
例をあげれば、「あらら!大変痛かったでしょ~! きゃあ!きゃあ!」騒ぐと、痛みは飛んでしまうし、怪我した場所から大抵は引き離される。
最悪なのは子供が痛みと理由を考えるより先に、大人が勝手な理屈と思いをねじ込んでしまう。
「いたかったでしょ! いたかったでしょ!」 と痛くもないのに何度もすり込まれ、原因すら不明瞭なのに(本人だけが知る) 本人なおざりで手近にある物を原因としてすり込む。
もっともいけないのは、「こんな物がここにあるからいけないのよね~!」といって、原因となった物をすぐに子供の目の前から取り去る。
これらのいずれも、将来 自分の思うようにいかなかった事をなんでも人のせいにする練習をさせているのと同じだ。
考える力は経験から基礎を付けて伸びる物だからだ。
さて、日中に1度お出かけの用事があった僕と家内だけれど、
こちらがお腹空いてしまったために、マクドナルドで食事を買うが、僕の場合は見かけが年齢より若く見られることから、多分親と勘違いされているだろうな~ なんて思う。
でも途中で孫は寝てしまった・・・可愛い。
そのあと家内が用件を済ませている間、車の中で僕は孫と二人は昼寝。
そして戻ってきたばば(家内)を乗せて帰りとなるが、起きた途端にお腹が空いているらしくて、念のためにと持って来たバナナを食べさせると
、あれあれ 一本食べてしまった(笑)()/
丁度離乳食の時間と重なっていたわけで、本当はレギュラーなものを食べさせなければいけないんだけれど、仕方なしに応急処置のはずだった。
すぐに帰宅し、そのまま野菜だけの離乳食を少々とミルク200ml。 「結構食べているのでそりゃ~無理だろ・・・」 と思っていたら
娘に抱っこされたまま全部飲んでしまった。
以降は娘が僕に変って孫の相手をしてくれていたので、しばし休憩 、自分の子供の時は疲れみたいな物は感じなかったのにな~と・・・
年食ったか~? ははは
そのあと、うんちをしてしまい、それがはみ出気味だったので、僕がシャワーへ入れたのですが、長い時間をタイムスリップしたような不思議な
感覚、でも なぜかずっと泣いていたな~ すこし泣き
あとで嫁さんに話を聞くと、強いシャワーを嫌がるそうだ、 ははは フルパワーで浴びせてました(笑)
夕方になり、すこし熱の下がった嫁さんが降りてくると、すぐに側へ行ってずっと離れない孫の姿があった。
甘えている姿をみて 僕は思う、 おかあさんという存在は 偉大だよな~