「自分は恵まれているのかな~」と思う事が多い。
上の子が酷く荒れていた時には、まるで自分が世界で一番最悪な親なのだと、自分自身で自らをいくど繰り返し批難したことか・・・・
そんな息子も、家庭を持って、嫁さんと一緒に父の日にプレゼントをしてくれるようになった。
ちなみに、僕は親にプレゼントなんかしたことは無かった・・・。
子供がだれしもくぐり抜ける反抗期。 その際に荒れ方が酷ければ酷いほど夫婦仲は悪くなり、家庭も壊れてしまう事が多い。
そうした姿を自分はたくさん見てきた。
親自身が目の前の苦しさに耐えられなくなって逃げだそうとするからそうなるのだけれど、
子供自身はまだ不完全で未熟な思考を大人にすべく本能が自立を促しているのだから、けして親が逃げてはいけないのだ。
親が逃げれば、子供はその分大人の思考が不完全状態で停止されたまま、外見だけは大人になっていく。
荒れている際の子供は、まさか自分の行動が家庭を破壊しているだなどと考えもしないし、それに気づいたとて、自分を押さえることというのは難しい。
反抗期が本能である以上は、必ずそれを通り抜ければ落ち着き、やがては大人になった心を備えつつ、子供は家庭に戻ってくるものだ。
その一部始終を、、その親の姿を見ながら子供は多くを学び、やがて自分たちが同じ体験をするときが来たら、教科書として仰ぎ見る。
親の姿=子供の姿 となるのですね。
そういえば沖縄から帰ってきた娘、僕にお土産としてくれたのは たくさんの話。
修学旅行で体験したことや楽しかったこと、思ったことなど、僕がひまだと思うと、
捕まえて話をしてくれる。
この年齢の女の子が、父親相手に何時間もそうした話をしてくれるのは珍しいと聞くが、
家では普通だし、僕自身も感謝している。
色々と出来事を聞いていると、とにかく感覚がフレッシュで、まだあらゆる物から受け取る
全てが煌めいているいことが分かる。 一瞬一瞬が素晴らしい時間。
でも、40年以上生きている僕には、同じ事をしても同じ物をみても、おそらく娘とまったく
異なる視点で捕らえているのだろうなと思えてならない。
それが大人というものではあるけれど、そうした娘の言葉の中にある、感受性というのを、
僕自身が逆に学び、枯れ始めた感性に娘の心という水を注ぐことで、何時までもみずみずしさ
を失わないようにしたい、と僕は思う。