以前日記で紹介した事があったはずですが、とんでもなくプライドの高い若いやつの話を覚えいていますでしょうか?。
若さとは馬鹿さ、世間知らずそのものでもあるわけですが、ただ、その年齢でその人格構成経験しかなければどうにもならないわけでして、エリートでほとんど叱られて来る事の無かった彼にとっては、私という存在は当然?というか見下して馬鹿にするべき存在にみえる訳です。
だからとて別にこちらも傷つきもしませんし動揺すらしません、ただ私も安っぽい正義感で恰好つけよう等とは思いませんから、当然こちらもその態度に忠実に答えるわけで何一つ教えもしませんし、それで彼は自分の所業により来るであろう現実と向かい合えばよいわけです。 何の問題も無いわけですが、
「あまったれるな!」ということです。 別段高度で不可能な要求等誰もしていませんし、一番基礎でもっとも大切なコミュニケーションの基本、人の話を聞く気があるか? という、とても簡単なことすらできないわけですから話にならない。
何度かボスが彼に教えてくれと私のところに来た事はありますが、だからとて「教えさせていただきます」じゃトレーニングなんて初めから成立しないわけで、「冗談じゃない」と私は何一つ教えませんでした。
そんな彼が先週ひよっこりと部屋にあらわれて、いきなり挨拶してきました。
思わず私は?????、というのはこの半年間彼がいなかったのは知っていましたが、「他の部署に転出でもしているのか?」位で正直どうなろうが知った事じゃなかったわけです。
こちらから挨拶してもフンとした態度しかとれないわけですからね~、ところがこうして相手の態度が変ればこちらもそれに応じた礼を払わねばなりません。
詳しい話をここで書くことは一切なりませんが、簡単にいうなら戦場は人を変えるということです。
何の悩みもなく、つらい事も我慢する事すらも無い、平和だからこそ大手をふってまかり通る“奇麗事・安っぽいプライド・身勝手・我儘”それが弾の飛び場所では一切通用しない・・・・。
その日の午後、再び部屋に現れた彼、自分から教えてくれと言ってきました。
前の彼を知っていた私はまず驚きましたが、もちろんNOとは言いませんよ、取り合えず2時間、基礎中の基礎と、その中のキーポイントだけ取り合えず繰り返して教えました。
私自身たいしたことが出来るわけではありません、でも大した事じゃないからこそ、この程度の事は出来るようになってくれと願うわけです。
土曜日という事で、朝7時から家の掃除。
途中で娘と競争しながらのひと時、そんでもって何の予定もなかったことから、
costcoにいくべとひとっ走り。
買ったのはサーロインステーキのでかいブロック肉、ワイン、3L2本組みのでかい天然果汁ジュース。
あっちこっち連れて行けという感じで一日運転&お付き合いでした。
また引きこもり青年による悲しい事件が起きました。
こうした事件が起きるたびに、死を受け入れるしかなかったこの青年の妹と弟の無念さが心に染み渡ります。
頚動脈をナイフで切ると即死にはなりません、程度にもよりますが、死に至るまで10分近い時間が必要となります。
寝ているところを襲われ、その痛みにのた打ち回りつつ、遠ざかっていく意識と生きようとする本能および生体活動が激しく脈打つなかで、しかしながら絶対的な事実に抗う事は出来ませんから、最後には死を迎える恐怖と悔しさを受け入れねばならないわけです。
3人の遺体の頬には、「なぜ死ななきゃならないんだ?」という思いから流れ出た涙の痕跡がたくさん残されていたであろうと私は思います。
引きこもりの子を持つ親の苦しみを知らない者たちはこういいます、「親の教育がわるいからだ、親のせいだ、馬鹿な親だ」とです。
そして引きこもっている子には、「こいつ気持ち悪い、変態、気合が入ってないからだ云々」という残酷な言葉が投げられます。
ではこの子は、そして親はこれまで何もして来なかったのか? 何にもしようとは思わなかったのか?
私が断言できるのは、「そんなことあるわけない」という事です。
親は親として出来る限りのことをし、この青年は彼なりに何とかしようと試みてきた、なぜならそうした行動を取るのが人間だからなのですね。
引きこもりになった子はその内になる心にどれだけの苦しい思いを抱えているかという事、それを理解する事は容易なことではありません。
自分の意思とは別に反応してしまう体、自分の思いとは反対に進んでいく未来への時間、その中で孤立する苦しさは普通に生活している者達が想像している以上に厳しいものなのですね。
一番の苦しさはなった本人にしか分かりえないということです。
人を批判する事は建前の正義と口さえあれば、数秒であふれるほど沸いてきます、しかし、それは自分が同じ立場にはならないというあくまでも楽観的考えの基にあるからで、ゆえに簡単に言葉にできるわけです。
口を出すものはいます、しかしながら誰一人としてその口に見あう行動をしようとしてくれる者などいません、これも私自身が経験しています。
こうした人物は、現実に行動を起こす者がいると、今度は雑言罵倒で批判するものです。
そうしないと、自分の立っている足元に不安を覚えるからであり、批判をすることで自分を安心させる。 人の心というものは、かようにあやふやな物なのですね。
ひきこもりの子、そしてその親はそうした無責任の嵐にさらされた中から必死で這い上がってこなければならないわけです。
仕事が終了後、いつもならまっすぐ帰宅が、今日はふらふらとバイク屋さんと車の中古部品屋さんめぐり。
車屋は最近買ったパジェロミニの天井に載せるルーフラックを探すため、バイク屋さんは次に購入するバイクの候補を選定するため。
とはいいながらもお金なんか有るはずもありませんから、購入できる目処がつく秋くらいまでは現実として手に入らないのですね。
バイクの場合は車のように絶対台数などありませんから、コツなど無く普通にヤフオクかバイク屋さんになるわけです・・・
現在の有力候補は今乗っているFJ1200と同じもので走行距離の1万キロ前後のもの、年式も古く安いのが最大の理由、また乗りなれていることも有ります。
次がkawasaki ZZR1100 約150PSのパワーと実測で290km出る最高速、車中がFJより20k近く軽いこと。
そして値段が安いこと。
戦闘機に使われているラムジェットならぬ、ラムエアシステム(ターボ見たいなものです)のために、速度が出ほどパワーもでる、このシステムのために、現実高速走行時のパワーは160PSオーバーになるわけです。
最後の候補がかの有名な”隼” suzukiGSX1300Rです。
約170PSのパワーと実測で320Km、停止時から時速100Kmまでの加速時間は2.2秒台(だったよな・・・)、車重がいまのっているFJの280kに対して210kと50kg異常軽い。
でもなんとなくデザインが丸っこすぎて (^^;) ははは
出来ればkawasakiの最新鋭機ZZR1400のラムエア状態で220PSオーバーなんていうのが欲しいのですが、家計が破産してしまうのと、さすがに死にたくないですね~ だって200kgの車体で220psのパワーなら一馬力あた0.9kgの牽引ですから、こりゃどう考えても異常、ちなみに今私のっているFJで約2kgの牽引です。
なんとなく分からない人のために普通の車だと大体150馬力くらいのパワーですので車の重量が1.5トンくらい平均で一馬力あたり10kgの牽引、スポーツカーといわれている車で大体5kg。
そんでもって最近デビューして至上最速なんていわれているスカイラインの新型で800万円の超お金持ち車が、たしか480PS、車中が約1.7トンあるので一馬力あたり3。5kgの牽引。 激遅い・・・・・(--;)
スカイラインがZZR1400に勝つには約2000馬力のエンジンが必要。
というか簡単に実測で350kmに達してしまうために欧州で300kmリミッターをつけて強引に社速規制かけられたのもうなずける。
いくら早いといわれているポルシェでも実測は270kmが限界ですからアウトバーンでその横をさらにプラス80kmでぶち抜くバイクがいれば危険極まりない。
今のバイクはもはや爆発物ですな、こりゃ! (^^)
Yahoo!にて、太陽黒点が現れ、再び活動期に入ったというニュースがありました。
ほぼ10年周期にて太陽活動の高低は繰り返されているわけです。
さて何でこんな事を書いているかと言うなら、私は地球温暖化というものに対して基本的に否定しており、現在騒がれているグローバルな平均気温上昇というものは、太陽系を含めた広い自然活動のほんの些細な動きでしかないと思っていこともあります。
太陽活動そのものは、核融合そのもの、すなわち爆発そのものなわけですが、基本的に動的な動きが安定する為には静であってはならない、動が静であることは、発生したエネルギーを無理に押さえ込んでいるか蓄積している状態と考えられ、それそのものは非常に危険ということです。
そこである振幅をともないながら平均した安定を保つほうが、静よりはるかに安定しているということは、物理では常識ともいえるわけです。
簡単な例をあげるなら、自動車のエンジンがそうで、シリンダで燃料が連続して爆発し、そのエネルギーをクランクシャフトで取り出しているわけですが。
このエンジンのアイドリング状態こそがまさに太陽活動そのものと同じでして、
燃焼そのものが不安定なものゆえ、回転数をコンピュータで検出制御して常に燃料排出量を微妙に増減してコントロールしているわけで、またその燃料のコントロールはそれを適度なサイクルで繰り返す事で成り立っています。
周期的に振幅させることで初めて回転が安定するわけです。
もっともこの振幅そのものは人間の感覚でつかめないほど微妙になるように設計されているので体感的にはほとんど感じられません。
さて、エンジンと同じく太陽も失火する時があります。
その期間の長短や規模により、地球は膨大な影響を受けてきました。
その代表的なものは氷河期であり、それ以外に数千年、何百年単位、そして冒頭に書いた10年という周期活動周期があるのですね。
車のエンジンでは一瞬ですが、それが寿命100億年という太陽活動からすれば、10年の周期など無視すべき程度のもので、数百年周期でさえ注目すべき物ではない、氷河期程度のものになって初めて失火といえるわけです。
最近で活動が弱まったのは1600年中ごろから1700年半ばくらいにかけて、そのあと1900年頃まで一度安定し、1900年頃からきっちり約10年周期でどんどんと活動を活発化させています。
少し遠い過去を見るなら今から年800年くらい前が最も活動していたわけで、ちょうどグリーンランドで野菜の耕作が平然となされていた時代で、日本では11月の元寇に超巨大台風が来襲しています。
そのさらに前の活動期は縄文時代で、このときは青森県のあたりでも栗が豊富に取れるのがあたりまえ。 たしか青森県の三内丸山遺跡は栗文化そのもので、当時はおそらく北海道でも栗が取れたほど温暖だったわけですが、ちなみに現在は野生の栗の北限は群馬あたりだったかな・・・。
さて黒点はろうそくであぶったガラスなどで容易に観測可能なことから、かなり前から黒点観測記録が残っています、300年位まえまではたしかあったはずです。
この黒点の活動記録と地球の気温変化はコピーしたかのようにぴったり当てはまり。 当然に300年位前の小氷河期?と黒点が消えた、すなわち太陽活動の弱まりとは完璧に関連性があるわけです。
とくに注目すべきは20世紀に入ってからのこの100年、太陽はまったく失火することなく順調に活動をしています。
太陽が活発になると、特に陸地の多い北半球はその熱の影響をもろに受けます。
よって一時的に冷夏であったりしますが、これは海水との温度差により大気中に含まれる水分量が増える為。 故に少し時間を置いて海水の温度が上昇すると今度は猛烈な気温上昇がやってきます。
こうして徐々に全体の温度があがっていくわけです。
この活動活発化による降り注ぐエネルギーは数値的には数値的には無視すべきほどの物でしょうが、地球という一つの物質全体が宇宙的時間の中で加熱される事による温度上昇は無視しうるものではなく、時間差をともないながらまだまだ上るわけでして。
もし本当にCO2が原因で地球の温度が上るなら、過去にあった地球的温度上昇はどう説明するのか?
そして太陽活動との関連性をどう否定するするのか?そこに私の疑問があるわけです。
地球温度の変化は歴史のつねですから・・・
ふー・・・とため息をついてしまうほど寒くなりました。
私にとって一番つらい季節です。
これから2月の半ば頃まではこうした凍てつく日が続きます。
なぜか知りませんが、2月の半ば特に20日をすぎると突然に暖かくなり始めます。
明らかに春が近づいてきているのが分かるという感じですね。
今年はいつもより早めにウインドを始めようか・・・なんて考えたりもしています。
正月最後の一日になってしまいました。
何か特別な事をするわけはありませんが、やらねばと思っていた収納オーバー? になりつつある娘の個人コーナー(私は娘に部屋をまだ与えていません)を
整理させました、さすがに狭く感じましたから・・・
ちなみに個部屋ですが、子供がまだ自分の持ち物を管理できない状態で部屋そのものを渡してしまうことは、そこにだらしなさの全てが集約されやすくなりますから、いうなれば汚ギャルを親が養成している事と同様になってしまいます。
自分の持ち物は自分で完全管理し、いつ親が見ても二重丸をあげられるくらいに整頓されている状態が続かなければ、部屋を与えないという私の考えを娘へは当然に伝えてあります。
また第二次反抗期に当然発生する親とのすれ違いに対し、逃げ場を与えているようなものであって(これは上の子から経験的に学びました)、そうした観点で娘には18歳過ぎまで与えるつもりはありません。
それ以外にも女の子の小部屋はさまざまな問題をもたらす事が多いことから、出来るなら持たせないままで行きたいのですが、やがてはそうもいかなくなるでしょうね・・・・
そんな厳しい我が家ですから、こうしたポリシーは収納だけに留まらず、あらゆるところに及んでいるわけですが、そのひとつとして家ではスリッパという物を一切使用しません。
家は全てフローリング床で畳みの部屋というものが無いわけですが、ゆえに一日中、はだしや靴下で過ごすことを当然としており、それは自然に衛生状態を維持する事を目的としています。 部屋が汚れていれば、はだしで3歩も歩けば足裏に証拠が残ります。また独特の感覚が足裏から伝わってきます。
ゆえに一日中はだしであっても、なんら不愉快を感じないように保たれてなければならないということです。
スリッパを履く事は、床の汚れから自分を切り離す事と考えてますから、いつでもどこでもごろんと昼寝できる綺麗さでなければ私自身(^^;)が気に入らないわけです。
今回の、娘コーナー模様替えは、別に散らかっていたわけではありませんが、本能的に蓄積するのが(これがゴミ屋敷のような家にしてしまう原因です)女性ですから、必ず不要物が溜まっているはずです。
まずはその本能差を娘に説明、後は黙って分別用の袋を娘に渡して任せます。
私はというと、二階にあがり、掃除機と雑巾をもって本棚やらCDラックやらから、聞かなくなったCDやカセットテープを片っ端からゴミ袋に投げ込んでいきます。 当然にいらなくなった古い本もどんどん棄てます。
というのは、娘のコーナーを大きくする=収納は家にあるものの移動で済まし買い増しは絶対にしない=部屋をわずかでも狭くしない=整理整頓の大原則。
としています、普通は物が増えると収納を買い増しするものですが、それだと無駄に出費するだけに留まらず次々に収納が増えていき、最後には収集が付かなくなる事があります。
それが我慢ならならないくらい嫌いなわたしですから、まずは整理して無駄な物を棄てる事でそれを防ぐわけです。
また、買い増しするとどうしても積み上げる為に、収納がどんどん上へ伸び、それにより目の高さにまで収納が及んで圧迫されるのも嫌なことから、我が家で腰より高い収納(タンス等)は全て、専用収納部屋を建築時に作ってそこに入れて有ります、あと高さのある家具はキッチンの食器棚くらいでしょうかね・・・
さて、元々物が納まっていたわけですから、本当なら上と下で収納(カラーボックスなど)を換えれば済んでしまいますが、同時に不要物を棄てれば当然に空きが出来ますので、その分収納スペースは増えます、こうした方法にて家は整理をしています。
さて、二階の整理が完了し大きな収納を下へおろして、反対にそれまであった小さいカラーボックスなどを上へと移動します。
私と娘に挟まれるようにして暇していた家内には収納棚を効率的に生かす最終兵器である適切なサイズのカゴを買いに行かせました。
娘が中身を移し変えるまでに手持ち無沙汰となった私は大工具箱やら日曜大工セット等を清掃・点検・片付けしましたが、結局全部終わるまで朝の8時から13時までの5時間ずっとやってました。
さて、収納に余裕の出た娘専用コーナー、片付け状態は前と変りはありませんが収納できるスペースは確実に増えています。
「どう思う?」と聞いてみると、娘は反抗的な顔にやたらと満足そうな表情を浮かべながら私のお腹にパンチを入れてきました。
本当に自分の娘は可愛いものです。
そして昼食、午後から娘は遊びに行き、私は暇を持て余してビス類を入れた箱を分別しましたが、釘やら木ネジ、ビスやらなにやらが溜まってものすごい量。
当然に折れたボルトやさびたネジなどゴミも凄い。
初めは少しずつチクチクやってましたが、次第に面倒になり、最後には「ダー!」っと棄ててしまいました。 これで後悔するんだよなーいつも
(――;)
あさ3時半頃に起きだし、気合を入れて動画作成をします、やっと完成してサーバーへアップします。
いつもそうですが、このアップの瞬間は緊張する・・・
別に何か起きるわけではありませんが、なぜかそうです。
しばらくして一人で安堵。
しかしのんびりもしておられず、昼頃に車へ工具やら野菜やらを積んで家内の実家へ向かいます。
付いて早々に、私は二階に上って少しだけ大工仕事、そのあいだ家内と娘は下で親戚の子達と騒いでます。
毎年恒例の正月行事みたいなもので、家内の兄弟姉妹とその子供達が集まり正月を祝うわけですが、今年は義理姉方のほうが忙しく、長女は参加しませんでしたし、義理姉とその旦那は夜に子供たちを迎えに来るだけで精一杯だった感じです。
一方家の息子は親と別行動で時間をずらして夕方電車で到着、今日は息子が運転してくれるので家内ともども羽目をはずして結構飲んでしまいました。
気が付いたときは家に到着していたという感じで一日が終わってました、
楽しかった・・・・
今日は本当なら仕事始めですが、休暇をもらっているために休み。
結局家内と娘の買い物にへ付き合わされるはめになりました・・・
帰宅後は動画の編集をします、最終調整段階ですが、なんとなく全体構成が
今ひとつ、もう少し煮詰めなければ・・・
遅れていた動画作成に取り掛かろうと思うも、娘がパソコンの前から離れません。
なにやら盛んにメールしているようですが・・・
というのは、私の使用していた携帯電話を娘専用に渡して一月、私から使い方を教わりつつメールやら何やらをしていたようですが、月末近くになって、ネットから現在の利用状況と通話料やら何やらを見せたところ、ぶっ飛んだようで。
ただ、初めて携帯電話をもつ子がたいていやらかす何万円という事ではなく2千円くらいだったのですが・・・・。
こんな無駄はしてられないと言って、自分が家にいるときのメールはすべてパソコンを使用したメールへと変更。
特別な場合だけ携帯でやるように自分で切り分けはじめまして、それはよいのですが、PCに座れば当然に自分のHPを持ちたくなります。
ブログの作成をしてあげてから、それに関しての書き込みやらに返信したり、ネットを通じての友達もあるようで(この危険性についてはたっぷりと話して心がけさせています)、他には音楽を聴きながら、好きなファッション関係や趣味関係、等など見ることから、その間は私のパソコンを完全に占拠状態になってしまいます。
むりしてどかすわけにも行きませんから、昼寝したりとなんとなくボーっとして一日を過ごす事になりました。
休みの日でも普段から早起きの私は6時になると寝てられません、
ごそごそ起きだしてリビングに行くと、母はすでに台所、私は昨日入れられた厚さ2cmはあるのではないかというほどの量がある新聞広告を一枚一枚読み取っていきます。
私自身は家に新聞を取ってません、古新聞が溜まるのが嫌なのと、まだ更新時期も来ていないのに、次の契約をしてくれと来る新聞屋さんがたまらなく嫌いな事もあります。
でもこの新聞広告、結構面白い事が読み取れるのですね。
親の家がある守屋市はこの10年で爆発的な開発の進んだところであり、町全体が若く活気がみなぎっています。
当然に広告にはそうした流れがあふれていて、ところが反対に都心等は老人の町となっているために、広告もそれにあわせた内容になっています。
まずはそうした差を楽しみますが、それ以外に流行の車や、流行の家電製品、流行の何がし、というものが読み取れますが、それはこの国の経済力や、好み、生活様式の変化など、そうしたものが全て現れているわけです。
全部見た後の総合的感想は・・・・というなら、全体的に物余りの一言でしょうね、景気が悪くて物が売れないのではなく、買いたい物が無いという感じでしょうかね。
だから魅力的なものが現れると何百万でも平然として払うのが今の日本という感じ。
例えば洗濯機、冷蔵後、テレビも、以前のようにやたらと機能が付いたものは売れず、単純だけど本来の機能にすぐれ、どちらかというある機能に特化していたり、感覚にダイレクトに入り込んでくる物が売れる。
たとえそれが高価なものであってもです。
洗濯機は風呂場隣接した脱衣所に置かれる事が多いことから、簡易エアコン機能?のついた東芝横ドラム式が売れ、車は特化した馬力のスカイラインが人気、テレビはとにかく国産を売り物にしたシャープ大型液晶が好まれ、冷蔵庫は同じサイズで内部の断熱材を進化させて大容量化したものという感じ。
反対に見かけでほとんど差を得る事の出来ないパソコンはその性能の高速化ほど
は売れないという感じ、ましてやPCを手作などまるで大昔の話という感じですね。
まあ複雑な感想を書くとこの先どこまで書いても収まらないので、この程度にして置きましょう・・・
午前中に親父と畑に作物を取りに行き、帰りは荷台に野菜満載で帰ってきました。
休みの日でも普段から早起きの私は6時になると寝てられません、
ごそごそ起きだしてリビングに行くと、母はすでに台所、私は昨日入れられた厚さ2cmはあるのではないかというほどの量がある新聞広告を一枚一枚読み取っていきます。
私自身は家に新聞を取ってません、古新聞が溜まるのが嫌なのと、まだ更新時期も来ていないのに、次の契約をしてくれと来る新聞屋さんがたまらなく嫌いな事もあります。
でもこの新聞広告、結構面白い事が読み取れるのですね。
親の家がある守屋市はこの10年で爆発的な開発の進んだところであり、町全体が若く活気がみなぎっています。
当然に広告にはそうした流れがあふれていて、ところが反対に都心等は老人の町となっているために、広告もそれにあわせた内容になっています。
まずはそうした差を楽しみますが、それ以外に流行の車や、流行の家電製品、流行の何がし、というものが読み取れますが、それはこの国の経済力や、好み、生活様式の変化など、そうしたものが全て現れているわけです。
全部見た後の総合的感想は・・・・というなら、全体的に物余りの一言でしょうね、景気が悪くて物が売れないのではなく、買いたい物が無いという感じでしょうかね。
だから魅力的なものが現れると何百万でも平然として払うのが今の日本という感じ。
例えば洗濯機、冷蔵後、テレビも、以前のようにやたらと機能が付いたものは売れず、単純だけど本来の機能にすぐれ、どちらかというある機能に特化していたり、感覚にダイレクトに入り込んでくる物が売れる。
たとえそれが高価なものであってもです。
洗濯機は風呂場隣接した脱衣所に置かれる事が多いことから、簡易エアコン機能?のついた東芝横ドラム式が売れ、車は特化した馬力のスカイラインが人気、テレビはとにかく国産を売り物にしたシャープ大型液晶が好まれ、冷蔵庫は同じサイズで内部の断熱材を進化させて大容量化したものという感じ。
反対に見かけでほとんど差を得る事の出来ないパソコンはその性能の高速化ほど
は売れないという感じ、ましてやPCを手作などまるで大昔の話という感じですね。
まあ複雑な感想を書くとこの先どこまで書いても収まらないので、この程度にして置きましょう・・・
午前中に親父と畑に作物を取りに行き、帰りは荷台に野菜満載で帰ってきました。
あけましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いいたします。
昨年の今頃は大学合格やら何やらで家全体がうかれていました。
それから一年、瞬く間に過ぎたという感じです。
人生山あり谷ありと言いますが、今は平地をテクテクと歩いているという感じです。
人生ですから、永遠にそれが続くという事等無いのは、体に染み込んでいますが、まずは昨年という時を家族全員が健康で過ごせたという大変な幸福に感謝せねばなりません。
同時に今年もまた家族全員が健康であるということ、それだけを願いたく思います。
有るがままに十分な感謝をし、不要な欲は廃し、もしくは棄てる事。
それが始まりである事は、とても大切な事と考えています。
年末からずっと夜遊び連続の息子、昼夜かまわず友達と盛んに出歩いてる息子ですが、よくまあ体力が持つこと・・・・
と変な関心はともかく、今日は毎年恒例で私の父母方へ初詣?にむかいます。
朝帰りの息子が後ろの席で寝たいというので、前のベンチシートに娘と家内、そして私が座り実家へと向かいます。
車は息子のピックアップトラックですが、相変わらず中が綺麗、汚すと叱られるのでそれなりに気を使います。
実家にいくと、必ず帰りに野菜だ、味噌だ、餅だ、なんだかんだと後ろが見えなくなるほどもたされる事から、軽自動車では行けません。
高速をひた走って茨城県の守屋市へと向かいますが、すいている為に約一時間半で到着、久しぶりの親の顔になぜか安心を覚える私。
到着しだいエプロンをした娘が母のお昼手伝いに入り、もともと息子より娘が欲しくて仕方なかった私の父と母は孫娘のこうした行動が可愛くて仕方ない感じです。
早速つまみとビールの登場ということで、珍しく息子が飲みまして、一日食べて寝てすごす元日になりました。
うー 食べすぎだ・・・・(――;)